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[コメント] サマーウォーズ(2009/日)

面白かった。面白かったんだけど。大味すぎて時間がたてばたつほど評価が下がる。
れーじ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「ID乗っ取られるくらいで混乱するようなあんなヘチョいネットワークがあってたまるかよ」「アバターが乗っ取られる=IDが乗っ取られるっておかしくねえ?」「人間関係チート過ぎ」などそのあたりの設定周りの突っ込みどころは「ファミリーアニメ」という強引にして卑怯極まりない言い訳でぶった切ったとしても、描写のほうでも首をひねる部分が多すぎてどうしたもんかと頭を抱えてしまうのであります。

記号的に描かれた田舎の生活(つけっ放しのテレビで高校野球、不揃いの机を並べての大勢での食事、やたらと多い葬式の参列者)を無条件で「楽しかったです」とケンジ君に言わせるほど肯定的に描かれると「いやー?」とも思ってしまうのです。そもそも台詞でそう言ってるだけで楽しそうに見えんかったという話もあるけど。

田舎の人間にとっても、こういう付き合いとか行事ってのは、楽しむものである一方で、煩わしいものでもあると思うのです。実際は。うちのおかんとか婆ちゃん、香典やら贈り物やら祝儀やらどうするかでめんどくさいめんどくさいっていっつも言ってるもん。

それでもやるのは昔からの惰性ってのもあるけど、でもそうやってたら繋がりが保てるから、困ったときに助け合いが出来るってのが一番大きいのです。人間なんて単純なもんで、特別嫌っていない限り、顔を合わせていれば情が湧く。そうやって煩わしいのをこらえて忘れて、良い部分だけ見てニコニコしてれば、少なくとも一人で老人ホームで死ぬ可能性は少なくなる。一人で死んだとしても誰かが悲しんでくれる。そういうことだと思います。そんなことはもうはるか昔に『東京物語』で語りつくされてんじゃん、そこを逆行してどうするよ、と。

人の間の垣根のなさということで言えば、ラスト付近の『』みたいな花札対決での「世界のみんなが味方してくれてる!」的な描写とか、まるで「世界の総意」みたいな感じでインサートされる「世界を救って!!」的大衆の台詞とかも、なんか白々しい。世界がひとつになれないってのは、もう前提なわけですよ。少なくともこの映画の中では前提となっていたと思うのです。そうじゃないと「田舎と都会」をそもそも対立概念みたいに前提としておく必要がないもの。ワビスケおじさん(だっけ?)を異端としてまず前提で話を向ける必要もない。それをすっ飛ばして「実はみんな一緒だったんだ」とかああいう描写を軽やかにされても白けるだけです。そこには超えなきゃならない壁がたくさんあると思うのです。

っていうか、世界がひとつになれないってのはもう映画自身が高校野球の中継で証明しちゃってる。映画の状況を象徴するという描写でTVの中の高校野球の状況をリンクさせてる、という意図はなんとなく分かるけども、結果としてTVの向こうに居る球児や実況のおじさんや、応援に言ってる人たちを世界の状況から退けものにしてるじゃんと。このアンバランスさはどうよと。

いろいろ書いたけど、要するに総じて言うなら大味で大雑把なんだと思う。「これはこの世界にとってこういうものだからこう動く」とか「こいつはこういうキャラだからこう考えるはず」とか、設定にしてもキャラの挙動や描写にしても、どうにも管理が行き届いていないというか、作り手が映画の中の世界について本気でない、リアルとして考えてない、という感じがするのです。

所詮虚構、アニメだからなんてのは言い訳にもならんですよ。虚構であってもアニメであっても、それを享受して楽しんでる間は、観客にとってはそれがリアルなんです。だから嘘をつくほうは、本気で嘘をついてほしい。これがリアルだといわんばかりの、というより作り手の「リアル」で構成された嘘をついてほしい。観客のリアルを吹っ飛ばすくらいの嘘を見せてほしい。

そう願うのは、何も僕がオタクだからじゃないと思うのですが。

いや、だって白けるじゃん。白けたもん、これ。楽しめたけど心の底から楽しめてないもん。

(評価:★3)

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