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[コメント] 有りがたうさん(1936/日)

これは愛さずにはいられない傑作。バスの“パプパプー、パプパプー”というトボけたクラクションや、観光気分の能天気な劇伴、「ありがとおー」のかけ声の、折り目正しい朗らかさ。それらと見事な明暗を成す、経済的などん底状況。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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小さなバスと一体化して一つのキャラクターになっている有りがとうさん(上原謙)。半面、ハンドルを握る手を休めて煙草を一服している時の表情は、意外とニヒル。その表情の二面性に、社会の光と影さえ感じてしまう。彼がお客と話題にする、不況と貧しさの悲惨。子どもが生まれた家があっても、むしろお悔やみを言いたいくらいだ、とか、いっそ葬儀屋の運転手になった方がマシだとか、そんな台詞を吐いていてもその口調はどこかクール。片や、東京に売られていく娘さん(築地まゆみ)は、どんどん顔が沈んでいく。お水な商売の匂いのする黒襟の女(桑野通子)の「あんたが買おうとしているシボレー一台のお金で、娘さんは東京に行かずに済むんだよ」の言葉にも、無言を通す有りがとうさん。東京へ売られてゆく娘など、幾度乗せたか知れやしないのかもしれない。

バスの出発点である港町を出てしばらくは、車窓に美しい海岸や白波が見えている。だがそれも、峠をひとつ越えると消えてしまうのだ。黒襟の女が吹かすタバコの煙の輪っかを見つめる表情などがチャーミングな髭の紳士(石山隆嗣)も、その好色な様子が、売られた娘が相手にしていくだろう男達を予想させるという意味では、かなり黒い存在感もある。

縦の構図で奥行きを活かしたショットが十八番の清水宏監督。本作では、バスが行く先の通行人に鳴るクラクションと、通り過ぎたバスの後ろの通行人に律儀に投げかけられる「ありがとおー」の声、という定型の反復により、他の作品でも巧みに演出している「道」を、映画そのものの縦軸にしている。道ではそうした微笑ましい遣り取りが繰り返されるが、その事はまた、娘が売られていく東京へ近づいていく事とイコールでもある。

そして、道の作り手でありながら、自分達はその道を使えない朝鮮の女(久原良子)の登場が、「道を使う」という事の意味を更に問いかける。

原作は川端康成の『掌の小説』の一篇「有難う」。本屋で簡単に立ち読みできるほど短いので、ご一読いただきたい(本屋ごめん)。有りがとうさんが、例の母娘を乗せて行く、という設定以外は映画独自に付け加えられているのだが、この映画の印象を抱いて原作を読むと、話の展開に少し意外な感がある。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)TOMIMORI[*] ジェリー[*]

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