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[コメント] 世界の中心で、愛をさけぶ(2004/日)

役者は頑張っているが、プロット的にあまりにも作為的な偶然が続く上、画面に始終充満する過剰な光のせいで、絶えず「作り話」を意識させられる。目の前に常に紗がかかったような隔たりが最後まで埋まらない。殆ど味のしない苺ミルクを飲んでいるような感触。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そもそも題名が引用の引用(ハーラン・エリスン→庵野)という辺りからして志の低さは明らかなのだが、プロットが全て、感動させる為に配列されたエピソードの提示という域を出ないのがバカバカしい。ラジオ番組に「僕の同級生の女の子が、白血病に冒されたんです」という嘘を書いて送りウォークマンをまんまと手に入れた森山未來長澤が怒る台詞は、その後に彼女が本当に白血病に冒されて…などという中坊レベルのお話を書いてしまえる制作者側にそっくりそのまま返してやりたくなる。

キレイな話に、キレイな画を与える以上の何ものも無い演出が、更に退屈さを増す。良い感じになりかけている時でも、微妙な匙加減でこちらの気持ちが冷めてしまう。冒頭で柴咲が雑踏の中ウォークマンを聴きながら涙するシーンにしても、彼女のクローズアップからタイトルへと入る演出には情感を覚えるし、このシーンに至る前に、柴咲が足を引きずるように歩く様も、物語への興味を引くのだが、タイトルに入る前に、柴咲の顔に徐々に光を当てていく演出は、ちょっと過剰な印象がある。彼女に照明を当てているスタッフの存在を感じさせられてしまう、作り事めいた演出。また、長澤が体育館でピアノを弾いてみせるシーンで、演奏を始めるとき、彼女の手の辺りでピアノのボディに虹色の光が当たるなどというのも、ちょっとやりすぎだろう。

『ロミオとジュリエット』をヌケヌケと「純愛」を表わすアイテムとして取り入れるような短絡さなど、大人が書いたとは信じ難い面が多すぎるのだが、こんな脚本にも、一点だけ良いところがある。一見すると、舌足らずな甘い台詞を呟く長澤と森山の恋という狭い世界だけを描いているように見えるが、そこにさり気なく、他者や時間というものが関わってくる。二人が特に涙するでもなかった校長の死が、実はシゲじい(山崎努)にとっては長年想い続けてきた人の死であったという事実。無人島の、廃墟と化した建物で見つけたカメラの中の、異国の写真。アボリジニの老人が語る、古い伝統。特にカメラの件など、少し薄気味悪くさえあるのだが、全く見知らぬ他者が、フィルムに「視線」という形で残ることで妙に生々しい存在感を示す点が面白い。

写真という形で残る記憶、存在。幼い恋人同士を見守るシゲじいが写真屋の主人であること。長澤が「忘れられるのが怖い」と、彼に写真を撮ってもらうこと。長澤の存在が、テープに吹き込まれた声という形で残されていること。「記憶」が「記録」に投影されることによるドラマトゥルギー。「遺骨」「遺灰」という物に託された想いというのも、手の平に収まる物に想いを託す点で、テープの扱いと相通じるものがある。

長澤が、森山のテープを病室で聴くシーンでは、一心に話し続ける森山の声に、長澤が苦しげに咳き込む音が重なることで、テープの声をただ聴くことも困難な悲痛さが感じられる。こうした自然な演出が、全篇に渡ってもっと必要だったのだ。正直、この映画で比較的最も感動できたのは、エンドロールで画面が黒バックになり、平井堅の歌がサビに入った瞬間だった。それだけ、画面に始終漂うロマンチック過剰にうんざりしていたということだろう。

柴咲の役どころは、要は長澤との思い出を引きずる大沢たかおの心情そのままに足を引きずってみせていたということだろう。そのケガの理由もまた、テープ交換日記のメッセンジャー役を務めていた際の交通事故にあり、その事故のせいで渡せなかった長澤の最後の言葉を大沢に届けることで、大沢が過去の「片づけ」を出来るようにする。大沢と柴咲が婚約しているという設定なのも、長澤との思い出を良い形で乗り越えた先のステップを暗示するためのものだっただろう。

恋愛絡みのシーンで最も優れていたのは実は、序盤の葬儀のシーンでの、雨が降るところだろう。校長の死にメソメソと泣く女生徒たちと、淡々と弔辞を読む長澤。だが突然降ってきた雨が、幼い感傷や、形式ばった葬儀を断ち切る。激しく降る雨の向こう側の遺影と、雨の中、一人立ち続けるシゲじい。この「大雨」はまた、台風29号という形で、長澤と森山の恋愛ともリンクしてくる。

それにしても、公開年の実写一位の観客動員数を記録したというこの作品、果たして観た人の何割程度が感動できたのだろうか。この手の「話題作」は、個人的な興味で観に行くというよりは、世間の一種の祭りの中で、自分の立ち位置を確認するために観るというのが動機の一つとして働いている気がする。鑑賞後に腐すのも一つの楽しみとして勘定されているというか。映画業界は経済的には潤うのだろうけど、作品として評価されたかのように勘違いしないようにはしてほしいところ。

(評価:★2)

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