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[コメント] バーバー吉野(2003/日)

少年たちは皆、亀頭みたいな髪型をしている。もたいまさこが他者を、この不条理な世界に穏やかなファシズムで呑み込んでいく不気味さは後の『めがね』で一つの完成形を見るのだが、本作では徒に苛立たしさを煽るのみ。対抗する少年世界が人工的。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そして、途中で出てくる、「吉野刈り」なる髪形への統一が実は「創られた伝統」じゃないのか?という疑惑はあやふやなまま。

映画か何かで見たような少年性をそのまま何の疑問もなく遂行するつまらなさ。『めがね』的世界を衒いなく遂行する恐ろしい素直さは既にここに表われていると言うべきか。このインターネット時代に、秘密基地にエロ本を隠すという行為に熱心な少年たちというステレオタイプ(まぁ、ネットはフィルタリングがかけられてるのかもしれないけど)。釣りをしていた親父との川辺での会話で投げかけられる、「毛、生えたのか?」という質問。町で、姉が男に鬱陶しがられて振られるのを目撃し、家では、部屋で号泣しているという、「大人の世界を垣間見る」体験、等々。「少年時代」って大抵こんなふうに描かれてきましたよね、と振り返るのが趣旨なのかと疑いたくなる安直な場面の数々に、作者の想像力の乏しさと、それに付き合わされる自分たち観客の悲惨を感じる。

東京から来た気障な転校生というステレオタイプにも失笑させられる。彼が、吉野刈りへの疑問を表明する際に、憲法で保障された自由に言及するというのも、キャラクタリゼーションの幼稚さを露わにする。それとこの少年、結局はババアに無理やりに髪を切られていたが、他人の髪を強制的に切るのは暴行罪にあたるわけで、法律を言うならここだろ。この期に及んでも、少年の、「リベラル」であるらしい母親が一切顔も口も出さないのもよく分からない。この母親の徹底した不在っぷりによって都会っ子少年の孤独を描こうとしたのだろうけど、それなら、母親が残していった食事をレンジでチンするとかいった常套手段ででもいいから、母親がちゃんと存在していて、なおかつ子供が捨て置かれているということを描かないと。この映画では、母親は、画面に写らないという以上に、その存在感が無さすぎる。これは演出の怠惰と無能の表れでしかない。

おばちゃんが、反抗の意志を固めゆく男子どもがなおも一抹の慕わしさを漏らす対象でもあり続けるその理由として挙がるのが、「お駄賃をもらった」、「おやつをもらった」といった言わば買収的なものなのが哀しい。いや、物で釣っているわけではなく、その行為の奥に隠された「愛情」(髪の薄い老人の散髪をやたら丁寧にやる理由として挙がるのがこれ)で少年らを惹きつけているのだと言いたいのだろうけれど、町内放送で保守主義的なファシズムを呼びかけるおばちゃんの恐ろしさのほうが僅かに際立つ。というか、ラスト直前まで僕は、この勘違いした女の顔を鋏でズタズタにしてやりたい衝動に駆られたのだが、それはもたいの鉄面皮が「愛情」という奥行きよりも、他者が自分に感謝し頼ることへの自己満足ばかり発散していたせいだろう。

(評価:★2)

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