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[コメント] GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995/日)

本作に至って、押井流の身体=都市論は、大きく「身体」の方へシフトする。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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素子が背景の街に溶け込むオープニングは、虚空に飛び交う声と街が溶け合うエンディングに繋がり、円環を成す。公安九課のメンバーは、その義体と記憶の一部が国家の所有物だが、これは制約であると同時に、国家機関という巨大な身体との融合でもある。そして、高度に情報化の進んだ都市は既に、一個の巨大なコンピューターなのだ。

押井名物の‘ダレ場’で、街に中華風の看板が溢れているのは、監督によると、情報化の象徴であるらしい。漢字が採用された理由は、表意文字としての漢字の情報圧縮度だろう。この場面は最後、ショーウインドウに並んだマネキンが映り、続いて路上に義体が登場する。まるで‘人形’が主題となる続編『イノセンス』の予見のよう。

劇中で引用される、新約聖書の言葉「今我ら、鏡もて見る如く」は、前作『パトレイバー2』での、レイバーのカメラとTVカメラが向き合っていた場面や、モニター上の戦闘状況と、実際の戦場との齟齬が生む悲劇を想起させる。また、この言葉が登場するシークェンスの最初の方で、潜水していた素子が水面近くに浮上して来、自分の歪んだ映像と対峙する場面は示唆的であるし、これとよく似た場面は、『天使のたまご』や、続編『イノセンス』でも確認できる。この言葉、引用元の聖書では、「我々の知識は一部分。不完全なものは完全なものによって放棄される」に続く言葉で、この一節は最後、「最も完全なものは愛」と説く。『イノセンス』で引用されていた言葉を思い出そう――「我々の神々も希望ももはや科学的でしかありえないなら、我々の愛もまた科学的であってはならない謂れはない」(≪未来のイヴ≫)。そして、ラストでの、受胎告知の天使の降臨。キリスト教では、この天使の名をガブリエルといい、これは、続編でのバトーの飼い犬の名だ。

監督は本作で、キリスト教的要素と共に、神道的世界観も取り入れたと言う。端末のそれぞれがホストとしての役を果たすネットは、‘八百万の神々’を思わせる、と(TRONの開発者、坂村健氏にも同様の発言アリ)。『パト2』で既に自衛隊機に‘神日本(カムヤマト)’‘八咫烏(ヤタガラス)’といった大和神話に由来する名が付けられていたが、『攻殻』では、都市が現実の日本から離れた代わりのように、精神的土着性が顕在化する。これは『イノセンス』で、更に深められるだろう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH 甘崎庵[*]

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