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[コメント] コラテラル(2004/米)

対照的な二人の在り方から見える、人生の二つの面。なぜ彼らが、殺し屋とタクシー運転手なのか、について→
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







タクシー・ドライバーのマックスと乗客との一期一会を淡々と見せていくオープニングは、何気ない人生の一場面を、ビター・チョコレートのようなほろ苦さで描く。そしてマックスが、運悪く殺し屋のヴィンセントを乗せてしまい、彼の殺人稼業の巻き添え(=コラテラル)になってしまう所から、物語が動き出す。

アクション風味の増す終盤に差しかかるまでは、☆は少なくとも三つ、ちょっとオマケして四つ上げても良いかな、というくらいの内容で、映画館に観に行かなかったのを後悔してたんですが…。結局、ハリウッド映画になっちゃったね。徐々に音楽まで通俗的になっていき、前半の大人な雰囲気は無残に崩れ去っていく。どうも、道路で狼に睨まれたシーン辺りで、何か呪いがかかったような感じだな。

トム・クルーズ演じるヴィンセントという男は、冷徹に人を殺していく、ニヒリスティックな人生観を抱いた男。それでいて時々、他人の人生を尊重するかのような言動を示す事がある。単純に、表面的に考えたら、かなり矛盾した人物造形だという事になるんだけど、この男が、マックスとの間に、妙な友情のような関係を築いていく点に注目すべし。

マックスは、初対面で何の怨みも無い人間を、平然と殺してしまうヴィンセントに対し、人間として何かが欠如している、と非難する。そんなマックスは、毎夜タクシーの中で、面識の無い様々な人間と、一対一の時間を過ごすのが仕事。マックスは、客のほんのちょっとした特徴から、相手の職業を当ててみせる観察眼をみせ、仕事に疲れた相手に、自分なりのアドバイスをしたりする。仕事を通して、ほんの一瞬触れ合うだけの関係だからこそ、時折、相手の深い所にまで触れてみたくなる。そんな心境は、マックスとヴィンセントの共通点なのだろう。

とは言え、仕事が済めばマックスは、客を送り出す。それとは逆にヴィンセントの場合、彼が仕事を済ませるという事は、相手の人生を終わらせるという事を意味する。継続と、断絶。このコントラストはラストシーンにも活かされているのだけど、派手なアクション映画と化してしまった終盤の展開のせいで、この映画の美点である地味と滋味は、もはや見る影も無い。

コントラスト、と言えばもう一つ、ラストにも活かされている要素がある。ひたすらタクシーを転がし続けるマックスは、とり立てて何も起こらない人生が、永遠に続いていくかのように生きている。一方、他人の人生の終焉に立ち会ってきたヴィンセントは、この人生がいつ何時どうなってしまうのか、誰にも予測出来ない事を知っている。偶然ヴィンセントに関わり合う事になったマックスは、この、一瞬一瞬だけが確かな人生の真実を知り、それまで惰性的に繰り返してきた人生を、もう一歩、前に踏み出す事になる。

最後に、ヴィンセントが一人寂しく死んでいく姿と、マックスが、愛する女と並んでタクシーを拾う場面は、それぞれ、自分がそれまで仕事の中で関わってきた他者の立場から、自分を見つめ直すような場面になっている。ヴィンセントは、死を見取る者から、死を見取られる者へ。マックスは、人を乗せる者から、人に乗せてもらう者へ。だが、ヴィンセントにとってそれは人生の「終焉」であり、それと対照的に、マックスにとっては人生の新たな「通過点」なのだ。つまり、彼ら自身がそれまでの人生に於いて、他人にとってそうした存在であった、という事だ。

と、物語の軸そのものは骨太な人間ドラマなだけに、余計な娯楽的要素が混入してしまったのが、なんとも残念。要は、脚本そのものは優れていた、という事なのだろうか。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Orpheus ina

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