コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] マシニスト(2004/スペイン)

電源を切れない機械と化した機械工。タイトルにもある「機械」には、意外と深い意味がある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 確か最初の方、工場の場面で、主人公が「機械を点検している時には電源をオフにせよ」とかいう規約を口にする箇所があるんですけど、この台詞の「機械」を「人間」に、「オフにする」を「眠る」に置き換えてみれば、この映画のタイトルが「マシニスト」=「機械工、機械運転者」で、実際に劇中でも主人公が機械工である理由も、納得がいきます。つまり、電源がオフにされていない機械も、眠る事が出来ないでいる人間も、暴走し、凶暴な破壊性を爆発させてしまう、という事です。  主演のクリスチャン・ベールが激ヤセして、別人のようになっているのは、劇中の「お前は誰だ?」という言葉に関わる理由も勿論あるでしょう。しかしまた一方では、骨組みの露わになった、機械のような有り様は、人間性の喪失の暗喩なのかも知れないですね。主人公自身の性格は、ユーモアと優しさを持った、人間味のあるものであるだけに、彼が追い詰められて自分を失っていく様子は、かなり切実なものがあります。

 ところで、この主人公が、空港のカフェに通い続けていた理由についてなんですが。この映画の一つの重要な要素が、「Y」の形である事を思い出して頂きたい(気づき難いかも知れない箇所としては、メモの針金人間にもY)。車で空港へと向かう主人公の眼前には、いつも「Y」の形で分岐点を示す標識が見えていた。右へ行けば警察で、左へ行けば空港。彼がカフェに通い続けていたのは、飛行機に乗って逃亡するか、それとも警察に出頭するか、その決断の前に逡巡していた証であり、人間として踏み出すべき一歩が踏み出せなかった証。彼が自分自身の罪から「escape!(脱出)」せずに、機械人形のような反復からいかに「escape!(脱出)」するかが、この映画のテーマのようです。 「escape!」とは、空港内に書かれていた言葉です。

 まあしかし、かなり早い内から先の展開が読めてしまう脚本の弱さは、かなり痛い。というか、予想していたよりも遥かに小規模な謎だったので、逆にその事に若干驚いてしまいました。  所々に散見されるヒッチコック風の演出だとか、ダークな色調の映像美だとか、出てくる役者の個性的な存在感だとか、劇伴として黒子に徹する音楽だとか、色々と美点の多い作品なだけに、あと一息のアイデアが無かったのが惜しまれます。この映画の宣伝文句に「『メメント』以来のカリスマ映画」なんてのがあるんですが、記憶力に障害を起こしている主人公が、メモを書き散らしつつ、却ってそのメモに翻弄されていく、という点は確かに似ている…、というか、正直、二番煎じの観も。『メメント』のように、鑑賞後、世界の見え方が一新されてしまうような衝撃度は、この映画には無いですね。  ただ、あまりにも凡庸な印象の結末も、むしろその凡庸さにこそメッセージ性があるのだという風に、善意に解釈する事も出来ないわけではない。機械に依存する事による、人間性の破壊への警鐘。二十四時間、ひたすら目覚め、明晰でいる事など出来ない人間は、機械をコントロールし切れるのか、という、文明批評的な視点。そうしたものを、この映画に読み取る事は可能です。

 いずれにせよ、この映画が、冷酷なサイコ・サスペンスでありながらも、実は意外と教訓的で道徳的な内容を孕んでいる点は、誰しも気づく所でしょう。また、謎解きが凡庸だからといって、この映画全体が凡庸だという事にはならない筈。なぜ主人公がああいったアクシデントに遭遇し、あのような出逢いを体験し、それに伴う苦痛と葛藤を味わわなければならなかったのか。最後に‘真相’が明らかになる事によって、その一つ一つの意味もまた、理解できるようになります。彼が、苦しみを怖れて目を逸らし、忌避していた感情が、それらの出来事によって、否応なしに彼に突きつけられる。全ては、安息を得る為の地獄巡り。これは一人の男の、魂の浄化と救済の物語なのでした。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)DSCH Bunge ざいあす[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。