コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] フォーガットン(2004/米)

アイデアは嫌いではないが、脚本が安易に過ぎる。だが演出と演技がかなりカヴァー。青を基調にした映像は、美しいとはいえ、この手の画は見飽きた気もするが、対照的に回想シーンが赤色で統一され、ジュリアン・ムーアの赤毛がマッチしているのが面白い。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







僕の好きな空撮の多用も嬉しい。しかもこの空撮が、珍しく主観映像としても機能している。宇宙人=超越者の視点。下界を歩く人々が蟻の群れのように見えるショットもあるし、上空から斜めに高層ビルを捉えたショットのシャープさなども、非常に好み。

それに、この映画の荒唐無稽さを際立たせてもいる、人が消去される場面の描写も、荒唐無稽な映像の面白さは存分に感じさせてくれる(『ディアボロス・悪魔の扉』の予告篇で似たような映像を見たような気はするが…)。この、超越的で圧倒的な力によって虫ケラのように人間が消去される衝撃は、スピルバーグの『宇宙戦争』のそれに匹敵する。ビルから落下するのを横から吸引されたり、視界を遮る物もない広々とした空間で突然、空の彼方へと拉し去られる、或いは建物を一瞬で破壊して、等、「消去」の描写は視覚的に色々と見所がある。空撮に加えてこの「消去」に於いても、「フレーム外」=超越者という点で一貫している。

ムーアの赤毛は、赤を基調にした映像に馴染んでいる。映画のラスト・シーンでは、或る程度予測していた事ではあったが、彼女が奪還した息子と公園で再会する光景が、やはり赤い色調の画で撮られている。息子と居る回想シーンは中盤まで、現実にあった過去なのか、それとも彼女の妄想でしかないのかが不明だったのだが、このラストで初めて、彼女の記憶と現実とが完全に結びつき、一致するのだ。そこに、映像的なカタルシスがある。

画としては、ムーアが最後に宇宙人と対峙する、クエスト航空の倉庫が良い。広大な空間に、ただ柱だけが無数に並び、窓ガラスに填められた格子の影と共に、幾何学的な造形を成す。まるで廃墟の大聖堂のようだ。

ただ、宇宙人の存在の顕在化が妙にあっさりしているので緊迫感が乏しく、国家安全保障局や宇宙人との本格的な攻防、逃亡・追跡劇も冗長で、「この手の映画のお約束に従って入れてみました」的な安易さが感じられるのが残念。主人公たちを走り回らせるより、人智を超えた力を持つ宇宙人と、宇宙人には理解できない感情や絆を持つ人間の闘いを、きちんと描写するべきだろう。

どうもこの脚本家は余り頭の良い人ではなさそうで、ムーアが宇宙人に締めあげられて、記憶を消去されそうになる場面でも、最終的には息子を胎内に宿していた記憶が残っていた事で宇宙人に勝利する訳だが、「愛は勝つ」とか「根性で勝利」というバカ漫画的な発想の域を殆ど出ていないように思う。これが、宇宙人には理解できない、人の記憶と感情の結びつき、といった、より心理学的、認識論的な方へと引きつけられたドラマであれば、ムーアの熱演も充分に報われた筈なのだが。

宇宙人にキレたムーアが「I have a son,son of a bitch!」と、「son(息子)」で下品な韻を踏んでみたり、その息子の乗った飛行機を運航していたのが「Quest Air」(クエスト航空)と、「quest(探索、追求)」という言葉が入っていたりと、脚本家は真面目に書いたつもりかも知れないが、この辺の言語センスもどうかと思う。

この映画のような「自分の子供の存在を信じてもらえず、証明も出来ない母親の苦闘」という主題を描いた映画としては、後発になる『フライトプラン』は、脚本に穴が無い訳ではないが、飛行機内という閉鎖空間と心理ドラマの結びつき、という映画的な挑戦が感じられた。また、本作に先んじてこの主題を描いた『バニー・レークは行方不明』は、ウィニコット心理学に於ける「移行対象」の概念をサスペンスに応用したかのような「子供」=「狂気」の描写、最後まで持続する不安と緊張感などが見事で、本作とは比べる気すら起こらない。

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。