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[コメント] いつか読書する日(2004/日)

早朝の、薄暗い藍に染まった町の色。牛乳瓶の鳴る音。自転車の回る車輪で円を描く橙色の光。導入部から観客を映画的な幸福感で包み込んでくれる。地味な作風のようでいて、画面は色彩の愉しみに充ちている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の、息子が就職を決めたので牛乳を一本減らした家庭の話や、敏子(渡辺美佐子)の、自分が通暁していた町の人たちに関する情報も、今では役に立たなくなってきた、という言葉などから既に、美奈子(田中裕子)が「町の人たちともっと知り合えて、仲良くなれる」と少女時代に誓って町に住み続けている事の意味が、足許から崩れつつある事を暗示する。この事が、通奏低音のように、鈍い焦燥感、さり気ない寂寥感を醸し出す。

主要人物が全て、何らかの形で言葉を綴る人間であるという点に、この映画の一つの企みを感じて楽しい。僕がその中でも特に気に入ったのが、認知症が進行している元英文学者・真男(上田耕一)。彼が妻の不在や時間の経過の異常な速さに戸惑う場面は、その、次々と家の中が変化していく編集の素早さや、彼が外へと駆け出したときの主観ショットの動性、マンガに動きを付けたような文字の表示の仕方、妻に連れられて帰るときの、ノラ猫の動きまでもが、全て面白い。

また、他の誰よりも勝れて言葉の専門家であったであろう真男が、頭の中で言葉がバラバラになっていくという事、その過程を通じて「カレー小僧」化していく事、あの問題家庭の幼い兄弟のような、安心できる保護者も、充分な言葉も持たぬ存在へと向かうという事、この事によって、美奈子の暮らす町そのものが、人生の円環を描く一つの小宇宙になる。

思えば、美奈子が真男の世話をしている事と、槐多(岸部一徳)が子供たちの世話をしている事とは、うまい具合に対称性を成しているともとれる(因みに彼の名は洋画家・村山槐多から取ったのだろう)。美奈子が毎朝配達する牛乳を、一口飲んでから捨てていた槐多(この、一口だけ飲んでいる点がまた絶妙)は、美奈子の恋情をも、長年、無視してきた。そんな彼が、最も時間の堆積から逃れている子供に執着するというのも、なかなか深読みを誘う所だ。

美奈子の想いは、毎朝の牛乳配達という淡々とした繰り返しに託されてきた訳だが、それを「無駄だからやめようか」と言う槐多に対して妻・容子(仁科亜季子)が答える「だめよ、またいつか飲めるようになるかも知れないじゃない」という台詞は、寝たきりの彼女の状態を考えると、切ない。彼女は或る面、女の執念や意地を体現した怖い存在ではあるのだが、夜中に一人で病身を押してポストに手紙を入れる場面のいじらしさなどは胸を打つ。美奈子は牛乳を通して、容子は手紙(以後手渡されたそれも含め)を通して、自分の個人的な想いという形で、ではあるが、互いに相手に自分の想いを伝達し、感染させていたとも言えないか。

容子の布団やカーテンの柄、大きな窓から見える景色なども忘れ難い。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)chokobo[*] ナム太郎[*]

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