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[コメント] SAYURI(2005/米)

エンドロールの最後の最後まで、リズム感と美意識が行き届いた世界観の構築は見事。かなり手前勝手な日本像を構築してくれているのは肯定できないが、その華麗でエネルギッシュな描写力で146分を飽きさせないのは立派。
煽尼采

鈴緒を振ると鐘が鳴るシーン等、日本人からすればコメディでしかない勘違い演出が散見され、鈴の音ではアクセントとして弱いから鐘の音を選んだのかも知れない、と演出上の意図を想像しつつも、鈴と鐘の差異が「演出」によって左右される程度と認識されているのならそれこそ違和感ありまくりだと、どこまでも気持ち悪さが抜けない世界観。

「おカボ」が「pumpkin」を意味することは台詞で一度説明すればいいのであり、延々と「pumpkin」と呼び続ける必要は無いだろう。「okabo」という音の響きが醸し出す雰囲気を活かさないのは間違い。

コン・リーは終始怒りっ放しの演技で、緩急に欠ける。笑っているときでさえ内なる怒気で空気を張り詰めさせる。それが彼女の演じた「初桃」のキャラクター性ではあるのだが、初桃もまた、切れば血の出る生身の女であるという点が蔑ろにされがちに見えて残念。執念とヒステリーで全身を充たしたサイボーグのような女になってしまったのは如何なものか。

自然体でそこに居るだけで場の空気を制するミシェール・ヨーの存在感は他を圧している。

チャン・ツィイーは頑張っているとは思うのだが、例えば痛みを堪えるシーンで口から漏れる「オオウッ」といった声。芸者としての慎みに欠ける。ここで控えめに漏れる声で色気を感じさせたりするのが日本的なエロスだと思うんですが。こうしたちょっとしたところで、やはり日本人が演じないと無理が出てしまうのだと再確認させられる。

色々と間違った描写が気になる作品ではあるが、「芸者は体ではなく芸を売る。娼婦ではない」というところを強調している点は一応、努力賞といったところか。「水揚げ」に関する描写をどう見るべきかは、当時の花街の事情について無知な身としては何とも言いようがないのだが。

芸者が如何にして男を魅了し、誘い込むのか、という技量にまつわるシーンは見応えがあったので、そうした手練手管の官能的な頭脳ゲームが主体になっていれば面白い作品になっただろう。ありそうで意外となかった切り口に思える。

やたらと尺八や横笛の音を鳴らして「日本です、日本ですから!」と強調するような音楽には「いや、分かってますからもういいですよ」と言いたくなるが、フィギュアスケートの中野友加里選手も演目に使用していたテーマ曲は流麗かつ力強くて素晴らしい。サビの終わり頃の、繰り返しの旋律が、芸者の舞に見られる扇子の回転や、着物の裾が翻る円形の動きを想起させる。

被写体としての日本には所々に妙な箇所が見られるが、その撮り方は、日本人ではなかなかこうは撮れないのだと思えるカメラワークやアングルが見られ、そこは素直に愉しめるところだ。特に照明がいい。濃厚な色彩そのものから花街の匂いが立ち上ってくるようで、ここはハリウッド式のエキゾチズムが功を奏した格好か。

日本を舞台にした、「日本人」の物語であるのに、時折「日本らしさ」を適当に香らせる為に挿まれる日本語以外は台詞が全篇、英語であるのは、アメリカ人はそれほどまでに字幕を読みたくないのかと失笑させられる。あちらは文盲の国なのか?米軍がやって来るまでもなく端からあからさまに「occupied japan」な舞台設定だが、見慣れてくるにつれて「芸者に自分の人生はない」という台詞と呼応しているかのようにも見えてくるのが不思議。観客というものは何にでも慣れてしまうのだ。フィクションというものは恐ろしい。

一人の芸者の一代記を通して日本の一時代を描くスケール感からして、もっと力のある演出家の手に委ねられたなら『さらば、わが愛 覇王別姫』級の歴史絵巻となっただろうが、そこはハリウッドになど期待せずに日本人自ら努力すべきところなのだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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