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[コメント] フライトプラン(2005/米)

宙に浮かぶ密室の中の、複数の密室。密室の中の人間の、心理という密室。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジョディ・フォスターの視点に対し、それを見守る観客の視点は、どのような位置関係にあるのか。例えば、冒頭で彼女が娘の寝室の窓越しに、向かいの建物から男二人が覗いている事に気づく場面は、後に機内で彼女がアラブ人を疑う伏線になっている。遠目に見えたあの二人の男の姿は漠然としていて、観客はジョディのように、機内のアラブ人たちが窓辺の男たちだ、と断定する程の気持ちにはなれない筈。だが同時に、娘が航空機=空飛ぶ密室で突如いなくなるという異常事態では、少しでも疑わしいものは徹底的に問い詰めたい気持ちになるのも、分からない事はない。この映画は、観客が主人公であるジョディに完全に感情移入し、彼女の視点で鑑賞するような造りになってはいない。僕らは、‘宙に浮いた’‘地に足の着かない’状態で事態の推移を観ているしかない。

この映画では、扉と窓、カーテンなどに表される境界性が重要な要素となっている。機内の探索と攻防では、各室を隔てる扉の向こうにいる人間が何をしているかが分からない事や、そもそも、その部屋にいるのかどうかすら分からない事が、人間パズル、或いは人間チェスのような展開を生んでいる。そして、それらの事態を展開させる中心的問題である、ジョディの娘の‘存在/不在’への疑惑。娘が確かに機内に、そしてこの世に存在したという確信は、ジョディの心の内にある記憶、イメージにしか根拠が無い。だが、載っている筈の搭乗者名簿に不在で、載っていない筈の死亡者名簿に記載されている、娘の名。他人にとって娘は、紙に記載された文字という痕跡しか持たない人間なのだ。ジョディも、一度は娘の死を信じかけたように見える。だからこそ、カウンセラーの言葉を静かに聞いていたジョディは、窓に娘が残したハートマークを見つけ、ハッとした表情になるのだ。

窓に娘が残したハートマーク。ここでも窓が重要になる。この窓は、機内に乗り込んだジョディ親子の姿を、観客が機体の外から‘窓越し’に観た、その窓。つまり、ジョディ親子の間の信頼の証しであると同時に、彼女らを見守る観客との間の信頼関係を結ぶ窓でもあった、と言えるのではないか。観客も、ジョディも、目の前に展開する出来事、機内の人間の言動が何一つ信用できず、更にはジョディ=カイル・プラットすら信じられなくなる。言わば自らの心理という密室に閉じ込められた状況であり、次第に窓も無い密室の暗がりに落ち込み、何も見えなくなる。ジョディは、不在の娘よりも、目の前で自分に優しく声をかけてくれるカウンセラーの言葉に、半ば縋りかけていた。しかし、今自分に向けられているような優しい声を、ジョディ自身が娘に聞かせていたのだ。

窓と、観客の視点、という意味では、冒頭の寝室の場面では、ジョディがもう一度窓越しに向かいの建物を確認した時、男たちが消えている。ジョディはカーテンを閉めて家の中を歩いていくが、その姿をカメラが追う視点は、あの男たちの視点のようでもある。娘の姿は見えない。この時点では観客は、ジョディを見守っているというよりは観察している立場だ。ジョディが娘に何度も話しかけ、心配する様子を観ている内に、ジョディへの感情移入が進む。と同時に、彼女が娘に寄せる思いが深ければ深いほど、その不在に耐えられずに妄想を抱く可能性も高まっていく。

タクシーに乗る前に、娘はガラス窓のあるドアの前で「あそこに行くのが怖い」と言う。するとジョディは、自らのコートに娘を隠してタクシーに向かう。ドア、コートという境界。このタクシー運転手も含め、娘に話しかける人間は一人もいない。言葉をかける、という行為は、互いの存在を確認し合う行為なのだ。だから、機内のトイレに隠れて警備員の目を騙すジョディは、警備員からの問いかけにドア越しに声を返す事で、自分がトイレから離れて機体の奥に侵入している事に気づかれないようにする。この警備員が結局は犯人であったのだが、彼がその正体を現して、‘プラン’の実行に移り始めた時、機内のカーテンを閉めていく場面がある。そして最後は、「そこにいるな」と声をかけ続けていた場所にジョディ親子が‘不在’なのを知ると同時に、ジョディに‘扉’を閉められて爆死させられるのだ。

9.11以降の、アメリカ人の航空機に対する、恐らくは神経過敏気味になっていたであろう心理を利用した密室サスペンス、という点では、アイデアは良かった。最初はジョディに同情的だった乗客たちが、簡単にアラブ人を犯人扱いする場面には、閉じられた空間に於ける、安易に一方に空気が流れ易い集団心理を突いている。この乗客らが、逆にジョディに疑いの目を向けた時、彼女が一度はアラブ人に向けた疑いの目は、彼女自身に跳ね返ってくる。彼女に手錠をはめる権限を持つ警備員が真犯人、というのは、サスペンスの展開としても、テーマ論的にも安易な印象はあるが、これは許容範囲内。だが、他のレビュアーの方々が指摘された通り、犯人の‘プラン’に穴が多すぎる。上に数々述べたようなテーマ性も、心理劇として知的刺激を感じさせる域にまでは達していたと言えず、及第点とは言い難い。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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