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[コメント] 浮草(1959/日)

殆どのカットに含まれる赤の鮮やかさ。反対色の緑が各所に配されているのも絶妙。加えて、茶系統の色の落ち着きと、白による視覚的な抜けの心地よさ。色と闇の対比も見事。画の構図も、屋内のみならず、狭い路地が織り成す直線の構成による、整然たる美。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この直線による構図によって、屋内シーンでの、階段の斜線が画面に映える。階段そのものも、お芳の家の二階にある清の部屋、芝居小屋の二階にある楽屋という形で、シーン構成の大事な要素となっている。例えば、駒十郎が清と再会するシーンは、一度二階に上がった清を追って駒十郎がわざわざ階段を上がるという行為、一方の清は独りで本を読んでいるという画によって、駒十郎の方の想いの強さが感じられるというものだ。

赤の反対色の緑の多用に気づいて感心して観ていると、ふと画面に映った襖の模様がまた、赤と緑のストライプ。徹底している。緑は団扇の色や柱など、割と多用されていた印象がある。

こうした、秩序ある美が整えられた上での、印象的なシーンの数々。殆どあらゆるカットが見事なのだが、特に、最初の逢引での、濃い影がかかり、表情が隠れている清と、彼に向って加代が言う「あんた、震えてんの」という言葉。この二人の関係を知った駒十郎が、すみ子を呼んでから彼女を待つシーンでの、天井から僅かにハラハラと降ってくる紙吹雪と、一瞬一瞬を刻み続ける拍子木の音。加代の、郵便局で初めて清に声をかけるシーンでの、鉛筆を舐める仕種の色っぽさ。本当に恋仲になってからの、「あかん」と拒絶する様子が却って扇情的なこと。

雨宿りしながら駒十郎とすみ子が喧嘩するシーンは、小津の十八番である切り替えしショットが、情動的なダイナミズムを得て展開するテンポのよさとパンチ力に唸らされる。それぞれ別の軒下で雨をしのぎながら、罵倒し合う二人。その激しい台詞の応酬に加え、降りしきる雨の激しさもまた、二人の激情を際立たせる。それでいながら、互いの間を隔てる雨の中にどちらも出て行かないことにより、ギリギリの抑制が利いてもいる。

終幕間際の駅のシーンでの、付いてくる者が一人もない駒十郎がベンチにいる光景はは、まるでこの世の果てに坐り込んでいるかのよう。またそれは、画面から色数がグッと減ったせいもあるだろう。この徹底した孤絶ゆえに、そこでの思いがけぬ、すみ子との再会もまたドラマチックになる。煙草を吸おうとして火が無い駒十郎。すみ子がそっと差し出す火が目に入らないかのように無視するが、遂にはすみ子が彼の煙草に火を点ける。この、火が点くまでの緊迫感が何ともドラマチック。

ラストカットの、闇に浮かぶ列車のライトはまた例によって異様なほどに赤いのだが、一見すると慎ましやかなこの作品が終始保ち続けてきた強度とは、見事に吊り合ったものでもある。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)irodori けにろん[*] 3819695[*] 緑雨[*]

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