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[コメント] 麦の穂をゆらす風(2006/英=アイルランド=独=伊=スペイン=仏)

分離と分身としての兄弟性。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







デミアンらが、英国の犠牲になった仲間の事を胸に刻んで解放運動に挺身するのと同じく、仲間と共に捕まったデミアンを尋問する英国の軍人もまた、多くの同胞が犠牲になった、と言って怒りを露わにする。立場は完全に対立した関係にあるが、人間としての根底の部分には共通点があるのであり、むしろそれ故に、どちらも同胞の為に「敵」に屈するまいとするのだ。デミアンらがこの収容所から脱出できたのも、英軍に、父がアイルランド出身だという、「‘半分’アイルランド人」の兵士の助けを借りてなのだ。ここで鍵が足りずに仲間が半分くらい救えずに終わるのも、何か示唆的に感じられる。

闘いの末、英軍がアイルランドから撤退する場面での、行進の列に向かってアイルランド側からからかいの声が投げられ、それに英軍の兵士が言い返す遣り取りがあるが、ここで初めて英国側とアイルランド側との間に、互いに優劣や殺し殺される関係の無い、対等の言葉の交わし合いが為されているのだ。一見すると単なる罵り合いのように見えるこの一瞬の会話が、僕には強く印象に残った。

デミアンとテディは最後には敵対し合い殺し合う関係になってしまった訳だが、物語を振り返って考えれば、一度は故郷を後にしようとしていたデミアンが闘士へと変貌していく過程は、兄テディの姿に倣う過程だったと言えないか。一度、仲間と共に英軍に囚われた時、テディが連行されそうになった際、デミアンは自分がテディだと言って身代わりになろうとしていた。結局、兄は自ら名乗り出て拷問に遭うのだが、ここで兄弟は運命を共有し合う関係にあると言える。

この兄の苦痛と、意志による忍耐、それを別室から励ますしかなかった自分達、という試練が有ったからこそ、仲間を密告した裏切り者をデミアン自らの手で射殺する、という行為の必然性も生まれる。デミアンが後に、愛する女性シネードに、この後の事を語る。射殺した少年の母親に会いに行き、六時間黙って歩き続けて墓へ連れて行った、彼女は最後に「二度と顔を見せないで」と自分に言った、と。

テディ以上にラディカルな闘士となったデミアンは、兄達が賛同した英国との条約に反対して独自に活動を始め、遂には対立し、処刑される。この時、テディは、シネードの許を訪ねて、弟の遺品と遺書を渡すのだが、自分に怒りを露わにして殴りかかるシネードに「よせ」と呟く彼の、力無い様子は目に焼きつく。そして彼女に言い渡されるのだ、「二度と顔を見せないで」。

最終的には互いに対立し合ったように見える兄弟だが、表面的な構図の下に潜む構造を読み取れば、むしろ深い所で同一化していたのだとも思えるのだ。殺し殺される、徹底的な対立の深い根としての、兄弟性。これは無論、英国とアイルランド、そしてアイルランド内の対立、更には、様々な形で繰り広げられて来、今も繰り広げられている種々の対立の、暗喩と見る事も出来るだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)irodori Orpheus Santa Monica

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