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[コメント] となり町戦争(2006/日)

カフカ的状況とメロドラマ。お役所的硬質さの中に人間味が垣間見える原田の存在感はぴったりだが、江口の精悍さはミスキャスト。幾つかのショットには映画勘の良さを感じるが、メインとサブキャラとの演技の温度差など、全体的なバランスが変。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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演出的な緩急の付け方に表れた反射神経の鈍さのせいで、全篇に渡って冗長な印象を受ける。特にラストでの北原(江口洋介)と香西(原田知世)の遣り取りは、ベタなメロドラマに過ぎないのに、勿体ぶって引っ張りすぎだ。再びの開戦を告げるアドバルーンが上がるのを二人が見つめるラスト・ショットのせいで、色々と工夫の見られたこの映画も結局は凡庸な「恋愛×クライシス」の紋切り型の構図に収まってしまった。

だが、北原が香西のナビゲーションに従って脱出を試みる場面での、脱出ルートの途中にあるトンネルに光が灯っていない事を報告した途端、生命の危機を告げられる瞬間の緊迫感はなかなかのもの。それまで淡白に、見えざる形で遂行されていた戦争が、急にリアルになる瞬間だ。この時に香西が言う「北原さんは、この戦争が目に見えないと言っていたけど、戦争の匂いや光りを、全身で感じて下さい」という台詞は、この場面では北原のサバイブの為の言葉ではあるが、徐々に、今現在、どこかで起っているであろう戦争への、倫理的なアンテナを開く言葉でもあるように感じられた。

とは言え、田尻(岩松了)が闇の中から血塗れの顔を覗かせる場面は、恐ろしさや衝撃度がまるで希薄であり、終戦後に彼が北原に背を向けながら、自分がかつて参加していた内戦の話をする姿も、彼が見つめる夕空の、人工着色料満載といった風情のCGも相俟って、現実感が無い。

このように、肝心な所での不手際の目立つ演出ではあるものの、幾つかの個所は、この監督は決して映画勘が悪い訳ではない筈だと感じさせる。冒頭の、駅の反対側のホーム間でのキャッチボールや、それをタイトルの「町」という字で分断するというアイデアに始まって、野球という、敵味方に分かれて闘うゲームを、シーンのそこかしこに配する演出は的確だった。ナイター中継という日常性が、「敵/味方」という非日常性の侵蝕を暗示している訳だ。北原が、上司の田尻が過去に戦争で人を殺しまくっていたと知った後に、バッティングセンターで球を打てなくなる事や、森見町でのスパイ活動の為に偽装結婚した香西が、北原が打てない球を易々と打ってしまう場面など、状況や心情のメタファーとしての野球の使い方は巧みだった。

他にも、「戦争○○日目」という表示を毎回工夫する細かさや、北原と香西が、苗木を植えた鉢を挟んでソファの上で向かい合うショット(まるで子供を挟むようにして)など、前半はユーモアを、後半はシリアスさを演出する数々の工夫をしてみせる、その努力の姿勢は買いたい。だが終戦後に香西が弟の遺骨の話を北原にする場面などでの照明の調節は、いかにもわざとらしい。二人が電車の中で無言で居、北原の傘の先から流れる水が香西の足許に流れるショット、唐突に挟み込まれる公園の時計のショットなど、優れた箇所も多いだけに、全体的なバランスの悪さが勿体無くて仕方が無い。

(評価:★2)

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