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[コメント] スパイダーマン3(2007/米)

崩れゆくものを必死につなぎとめるという事。サンドマンの事だけを言っているのではない。テーマである‘報復’と‘赦し’の両方に関わる事だ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オープニングは過去二作の名場面集、本編でも、マスクを上げ、頭を下に吊り下がったスパイダーマンとのキスや、アメリカ国旗をバックにしたスパイダーマン、ラスト近くでの葬儀の場面など、過去二作を連想させる場面を様々に取り入れ、シリーズの総括を行なおうとしている様子が感じられた。だが、結局は何か煮えきらないまま終わった感がある。主人公にいま一つ感情移入できないのが、決定的に痛い所。スパイダーマン=ピーター以外のメインキャラは、誰もが‘哀しみ’を背負って生きているのに、主人公たるピーターには、‘哀しみ’というよりは、未熟さや軽薄さによる失敗を積み重ねている、という以上の深みが感じられないのだ。

ブラックスパイダーマン誕生の原因となる、謎の黒い液状生物(シンビオート)は、隕石にくっついて宇宙から落ちてくる、というかなり唐突な登場の仕方をするが、これは、人間自身にはコントロール出来ない暗い本性を目覚めさせる、という、超越的な禍々しさを担う者としては、黒い夜空から降ってくる、という登場の仕方が最も相応しかったのかも知れない。シンビオートは、「宿主の特性を増幅させる。特に攻撃性を」。黒いスパイダーマンスーツを着たピーターの行動が小悪党的なのは、彼が急に‘悪の権化’になった訳でも、ダークサイドに落ちた訳でもなく、普段から心の底でやってみたいと思っていた事を、そのまま行動に移したからだろう。街で妙な踊りを見せて女たちに色目を使うのも、赤いスパイダーマンの時に既に街の人気者としての自分に酔っていた事の、延長線上の行為に見えた。

スパイダーマンとして街の人気者になっているピーター。だが、その充足感や自信が、却って彼の、スパイダーマンとしてのアイデンティティーを崩壊させていく。過去二作に無いほど、スパイダーマンスーツが破れて顔が覗いたまま闘う場面が多い事。それ自体が意志を持った生き物と化したブラックスパイダーマンスーツを引き剥がそうともがくピーターの姿。ヴェノムという、スパイダーマンの姿をした者がもう一人現れる事。名誉市民賞の授与式で、公衆の面前で半ば素顔を晒すピーター。スパイダーマンというヒーロー像に完全にその身を包んでいたピーターの在り方が、今作では非常に危うくなっている。そのどれもが、元をただせばピーター自身の気持ちの乱れが原因なのだ。

最後の決戦では、‘一人で悪に立ち向かうヒーロー’ですらなくなり、絶体絶命の危機をハリーに救ってもらうという展開に。何やら、スパイダーマンという存在を描き続ける事に息切れを覚えたかのような内容。尤も、だからこそ、最後にただの男としてMJを迎えに行く場面が感動的なのかも知れないが、正直、そこでは全くと言っていいほど感動できなかったので、綺麗にシリーズが閉じたという感慨には至れない。最後の決戦でもそうだが、今回は妙に建物が崩壊する場面が目立つ。スパイダーマンといえば、林立するビルの壁を利用して、糸を飛ばして飛び回ったり、壁に貼りついたりと、建物は彼の舞台、基盤だと言える。それが、スパイダーマンスーツ同様に壊れた状態なのだ。勿論、劇中のスパイダーマンは、崩壊する建物を相手に見事なアクションを見せてはくれるのだけど、そうしたアクションも含め、崩れゆくものを必死につなぎとめようとする事が、この映画全体のテーマになっていたと言って良いのではないか。

それを最もよく表していたのが、サンドマン。体が砂であるおかげで決定的なダメージを受けずに済むし、体を自在に変形させられるので、身を隠す事も出来、多様な攻撃手段を得る事も出来た。だがその体は、サンドマン自身が意志をしっかりと持っていない限りは、脆く崩壊してしまうのだ。だからこそ、彼が実験場で、自身がサンドマンと化してしまった事を知る場面での、ボロボロと崩れ落ちる自身の体を虚ろな目で眺める姿から漂う絶望感や、娘の写真を入れたペンダントを拾い上げる為に、必死で自らの手を再現する悲壮感に、クリーチャーとしての哀しみが漂うのだ。CGは人の‘哀しみ’を表現できる域に達しているのだな、と、この場面が最も印象に残っている。

ピーターは、これからMJと一緒に人生が歩めたら幸せだ、という状況だが、もし結婚して子供が出来れば、サンドマンと同じように、子の命を背負う、重い立場に立つ事になるのだ。そうした意味で、その身を置く状況の深刻さが、サンドマンの方が遥かにシリアスに思えて仕方がない。サンドマンを攻撃するスパイダーマンが、単に正義の味方ぶったお調子者にしか見えず、全く応援する気になれないのは、そのせいだ。自らの軽薄さのせいで、スパイダーマンとしての自身の存在が崩れかけるピーターよりも、家庭環境も社会的立場も全て崩壊しているサンドマンが、娘の命を救いたい、というただ一つの思いによって、崩れ易いその身を維持する姿の方が、遥かに胸を打つ。

また、サンドマンは、スパイダーマンや、ヴェノム、ゴブリンJr.らと違って、‘復讐心’というものを抱いていない。なぜか?他の連中は、恋人や肉親を失った事が恨みへと変じているが、サンドマンは、愛する娘をまだ失ってはおらず、むしろ娘を失いかけている現状を止める為に生きているからだ。つまり、未来に向かって生きているので、過去に囚われている場合ではないのだ。

サンドマンはその最後の場面でも娘の写真を見つめていたが、ピーターが叔母から譲り受けた結婚指輪――激しい戦闘の最中でもそれを守ろうとしていた事に、彼の叔母やMJに対する想いが表されていた筈なのだが――、その指輪は最後には全く登場しないままに終わっている。この映画は、ピーターとMJが抱き合う所で終わるが、余り心に残る場面とは言い難い。ピーターは叔母の「夫は自分よりも妻を大切にするもの」という言葉に、自信がある、と答えるが、その後の行動は、MJの想いよりも自分の自尊心の方を大切にしているように見えてしまう。男の僕から見ても、明らかにハリーの方がイイ男に見える・・・・・・、財力云々ではなく、気遣いにおいて。それを乗り越えて最後に再び絆を取り戻すという訳なのだから、ピーターはもっと何か精神的な試練を乗り越えていなければならない筈だろう。

だが、ハリーから受けた屈辱は、黒いスーツを着た状態で怒りに任せて彼をボコボコにする、という行為で報復しており、むしろその時に顔に火傷を負わされたハリーが、MJの為にピーターに協力しようとする事の方が、まだしも感動的に思える。結局は、父の死の真相を知りながら黙っていた執事に騙されていたようなものだし、彼はサンドマンと同じくらい哀愁漂うキャラクターだ。半分焼けた顔で笑顔を作り、親友として死んでいくハリー。冒頭でスパイダーマンと激しい闘いを繰り広げて、その怒りを印象づけた後、一転、記憶を失う事で、彼が本来は非常にイイ奴だという事がよく分かる場面展開。彼が、スパイダーマン同様、顔を晒した状態で闘うのは、表情と感情を持った人間として闘っている事の表れだ。

この映画で、最も根っからの悪人に思えるのは、ヴェノム=エディ・ブロック。彼がヴェノムとして敵となるのは、黒ピーターがエディの捏造記事を曝露したのはともかく、エディの恋人を、自分を捨てたMJへの嫌がらせの為にエディから奪う、という屈辱まで味わわせたツケを、ピーターが払う必要があったからだろう。それに、自身がスパイダーマンである事を利用して、スパイダーマンの特ダネ写真を撮っていたというのは、これはこれで、記者としてアンフェアな行為ではある。エディがそれを言えば、彼の打ちひしがれた気持ちが更に感じられた筈なのだが。

最後は、スパイダーマンはエディを救う為にブラックスパイダーマンスーツから引き剥がすが、それを着た時の恍惚感や力に魅せられたエディは、自らシンビオートと心中する形になって消える。ここに、暴力によって復讐心を充たす快感を克服したピーターと、エディの違いが際立つ。シンビオートが或る種の音に弱いというのは、宇宙からやってきた未知のパワーを排除するには、科学力や腕力ではなく、教会の鐘という神の力に頼るしかない、という訳なのだろう。教会で苦しむピーターは、まるで良心の呵責に苛まれているように見える。エディは、なぜかたまたまそこに居合わせたせいで、ピーターに代わってブラックスパイダーマンスーツにとり憑かれる。この展開は、シンビオートの弱点と併せていかにもご都合主義的に見えるのは確かだが、その象徴的な意味が重要だ。この時エディは、神に「ピーターに死を」を願っていた。この姿と、鐘の音に苦しむピーターの姿、というコントラストを示す事が、ここでは必要だったのだ。

それにしても、この作品から学ぶべきは、話し合う事の大切さだな。「娘の命を救う為に金が必要だった」「相棒がぶつかったから暴発して叔父さんを撃ってしまった」(by.サンドマン)は、スパイダーマン共々、最初から互いの事情を話せば良かったのに、と。特に、「お父上は自ら命をお断ちに・・・・・・敢えて言いませんでしたが」(by.執事)、これは意味が分からない。この爺さんが黙っていたせいで、ハリーは二代目ゴブリンになり、ピーターからMJを奪う行為になり、結果、ピーターは行過ぎてしまい、そのせいでヴェノムを生み・・・・・・、サンドマンの事情以外は、この執事が諸悪の根源じゃないか。と、そう考えていくと、この地味なチョイ役にすぎない爺さんが、結果的には最大の巨悪だと思えてき、その黒々とした存在感がゴゴゴ・・・・・・、と迫ってくる。スパイダーマンとサンドマンは、殆ど単なる行き違いのような状態なので、実質、この映画の対立軸は“スパイダーマンvs.オズボーン家の執事”である。しかもこの巨悪は、何の制裁も咎も受けずに、のうのうと暮らしているに違いない・・・・・・、スパイダーマンにその本性を知られる事すらもなく。

・・・・・・何だか無茶苦茶な脚本だな、これ。次回は『サンドマン2』でお願いしますよ、もう。

個人的には、大家の娘アシュレイ(アースラ、ウルスラ等とも)の出番がやや多めなのが救い。いつも内気な感じで、ちょっとピーターの顔を覗いつつもウキウキと話しかける様子が、可愛らしすぎる。ピーターの事が好きそうなのに、「MJから電話よ」と笑顔でピーターに告げる健気な所とか、良いですよね。因みに、演じているのはマゲイナ・トーヴァ(Mageina Tovah)。ホームページはhttp://www.mageinatovah.com/。ホントはあんな地味な娘ではなく、モデルもやっているみたいですね。

と、アシュレイ萌えが過ぎましたが・・・・・・、一方の、肝心のヒロインMJは、レストランで会った、ピーターの学友でスパイディーとキスもしてしまったモデル女に関して、「貴方みたいな天才を、長い爪の手で撫でまわして」と悪態をつく、ちょい毒のある女。それに、彼女が女優として技を磨く姿など描かれていないし、ピーターが人気者になってはしゃいでいる事に過敏になる辺り、舞台で表現する事よりも、人々から賞賛される事の方が目的なんじゃないの?と思えてしまう。ハリーによろめいた事よりも、こうした所にMJのビッチさが表れている。とは言え、彼女もまた、女優である事が崩れゆくのを何とかつなぎとめようとする、崩壊に立ち向かうキャラクターの一人ではあるのだけど、結局ピーターが迎えに来れば満足なのか、と突っ込みたくなるエンディングで、共感できないんだよな。

(評価:★3)

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