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[コメント] プレステージ(2006/米=英)

かのジョルジュ・メリエスが奇術師だった事が想起される。映画という仕掛け自体が、トリックを用いて時空を自在に繋いでみせる奇術。物語が中盤に差し掛かった頃には既に、物理的な奇術からイメージの奇術への主題の移行が感じ取れる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ショットとショットの繋ぎ方によって、現実にはあり得ない光景を見せる事が出来るのが、映画というもの。物語の中心となる奇術である‘瞬間移動’は、編集とかカット割りと呼ばれる行為が為すものでもある。そもそも、断続的に撮られた写真をひとつながりの運動として見る事自体が錯覚なのであり、「映画の中のトリック」は、「トリックの中のトリック」なのだ。本作に於いても、同じ人物が同じ場所に居るように見せかける為に、アングル、編集、メイクなど、人の錯覚を逆手に取った常套手段が用いられている。

また、劇中に名前だけ出てくるエジソンは、映画の黎明期に関った人物でもある。奇術と科学、この二つは映画の母体なのだ。ニコラ・テスラ(デヴィッド・ボウイ)の科学的奇蹟による分身と、ボーデン(クリスチャン・ベール)が奇術師としてその実人生まで虚構化、二重化した事による分身。本作に登場する二種類の分身は、そのまま「映画」の分身とも呼び得る存在だ。

ボーデンとアンジャー(ヒュー・ジャックマン)は、それぞれの仕方で自らの分身と対峙する。ボーデンは、この固有名詞一つ分の人生を、双子同士で分かち合う。アンジャーは、テスラの装置によって生み出された自身の分身と、奇術を成功させた直後に死すべき運命を分かち合う。結局どちらも、瞬間移動そのものは現実に行なってはいないのだ。自らを、その不可能事を叶える存在として観客に見せかける為に、自身のアイデンティティーを犠牲にする。

このライバル同士が、互いに相手の手を撃ち、脚を挫き、奇術師としてのハンデを負わせながらも、その負傷そのものが、彼らを他ならぬ彼ら自身として人々の認知させる指標ともなる。ボーデンは、片方が失った指を、もう片方もわざと損傷する事で、人々に錯覚を植えつける。

瞬間移動の名人として先に名を馳せたのはボーデンだが、その彼が、アンジャーが同じく瞬間移動を披露している舞台の裏に忍び込み、舞台の下に落ちてきたアンジャーが水槽に沈められるのを見た時、事態を呑み込めないボーデンは、必死で水槽のガラスを叩き割ろうとする。これは、物語の発端でアンジャーが、奇術の助手を務めていた妻を救おうと行なった行動をなぞっている。この場に居合わせた見張り番の男が、盲人であるというのも、視覚的な錯覚を操るのに血眼になっている二人への皮肉のように思える。

復讐者が、知らぬ間に敵と同一化していくというのは、幾つもの先例のある、一つの物語的パターンだが、本作では、鳥籠、付け髭、壁のない扉、小さなボール、といった小道具を反復させる事によって、幾重もの入れ子構造を描いている。ボーデンの最後にもこの入れ子構造が見出せる。彼がかつてアンジャーの舞台に闖入して、彼の替え玉を舞台上に吊るしたように、また、自身の妻が、本当の姿を見せてくれない夫に絶望して首を吊ったのと同様に、更には、奇術で舞台の下に一瞬で消えてみせた時のように、ボーデンは、絞首台の床が開いた瞬間、首に掛かった縄で吊るされるのだ。

ボーデンの妻が首を吊ったのは、奇術用の鳥が籠に入れられた部屋。鳥が、瞬間移動のトリックの犠牲となって毎回殺されていたように、ボーデンは自らの自我を半分殺し、その事で妻を現実に死なせてしまった。アンジャーは、自身を、替えのきく鳩のように扱う事で、妻の事故死をその身で反復する。アンジャーのトリックを覗こうとしたせいで殺人犯として収容されたボーデンは、鳥のように、檻に入れられる。

入れ子に次ぐ入れ子によるメタ構造。テスラの実験場での、夥しい数の同じシルクハットが転がっている光景には、思わずルネ・マグリットの絵画を思い出した。シルクハットは、鳥、鳥籠、壁のない扉と共に、彼の絵に頻出するモチーフの一つ。マグリットの絵はこの映画に似て、メタ絵画的なトリックの込められた作風だ。またシルクハットの傍には、同じく複製された黒い色の猫の群れ。これはシュレーディンガーの猫を連想させる。例の、二分の一だけ死んでいる猫だ。

最後に語られるカッター(マイケル・ケイン)の言葉、「観客は真実など知りたくはない」、「観客は何も見ていない」は、奇術の観客に対して以上に、映画の観客に向けられた言葉だと言えるだろう。僕たち観客が見ていないものとは何か。それは、例えば撮影現場であり、編集者の指先であり、つまりは舞台裏だ。奇術師達の舞台裏そのものを題材にしたこの映画は、最後の種明かし的なフラッシュバックの挿入によって、映画そのもののトリックを明らかにし、その事でメタ映画性を獲得している。

本作が展開した、時間軸を交差させた編集による仕掛けは、同監督作の『メメント』で全篇に用いられていた手でもあり、また、仮面、表裏一体、二律背反といった主題は、『ダークナイト』で、より倫理的な葛藤という面を色濃くした形で繰り返される主題。後者に関しては、クリスチャン・ベールマイケル・ケインの出演という共通点もある。

(評価:★4)

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