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[コメント] ウィッカーマン(2006/米)

法の論理と島の論理の平行線な状態が生む不条理感。だがこの不条理さによって却って不気味さを増すべき白昼の情景の明朗さが、間の抜けた明朗さの域を脱していない観があるのが残念。話の中身はかなり好きな方向性。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の交通事故によってエドワード(ニコラス・ケイジ)が受けた精神的衝撃がある事で、島で懸命に捜索を行なう彼自身が妄執に憑りつかれているように見えなくもない。あの事故の場面では、車の中の少女がエドワードの差し出した手を拒んで炎の中に消えていくが、映画の結末ではエドワードが炎に包まれる事、更にはこの事故現場から母娘の遺体が見つからなかった事など、既にこの時点で全てが仕組まれていたかに思わせる。

エドワードが娘の為に奔走していた事自体が、島の女たちの掌の上で踊らされているにすぎなかったという事。彼は「俺が従うのは法律だけだ」と言って、島独得の道徳観や規律を否定し、警察官として、島民の拒絶を撥ね退け、強引に捜索を続けるが、女たちが生贄として欲していたのは、まさにそうした勇ましい雄だったのだ。島の閉鎖的な法を凌駕する普遍的な法を自らの行動の根拠としていたエドワードは、その彼の行動そのものが島の論理に凌駕され、取り込まれていた、という逆転劇。

エドワードの元婚約者ウィロー(ケイト・ビーハン)や、シスター・ハニー(リーリー・ソビエスキー)の、透明感のある美しさ。どこか危うさの漂うウィローの曖昧な態度は、娘の失踪は彼女の狂言ないしは妄想であり、実は娘は既に焼死して埋葬されているのではないかと疑わせる。対してシスター・ハニーは、逞しさや、肉感的な色気も発散していて、彼女が薪を割る姿は、白いスカート姿と、手にしている斧のギャップが不思議な魅力を感じさせる。シスター・ハニーがエドワードに囁く「島を出る時には一緒に連れて行って」という言葉は、島の女たちにも自らの習俗への疑問が生じる余地があるかに思わせる。

島民による娘の誘拐そのものが事実ではない可能性と、誘拐されている娘が生贄として殺害されようとしているという可能性。いずれにせよ娘の実在という点には疑問は生じず、エドワードは徐々に後者の可能性を確信していく訳だが、実は前者が事実なのであり、ただ意外なのは、ウィローと島民たちのみならず娘までもが結託していたという事。こうしたプロットは、その皮肉な結末も含めてかなり好きな作風なのだけど、どうも気分が盛り上がらないのは、やはりビジュアル面で不満があったから。個々のショットに於ける緊張感の欠如。島民たちの仮装やウィッカーマンの造形が長閑にすぎる事。この長閑さが白昼で展開する事が却って不気味、という方向に持っていく事も演出次第では可能だった筈だが、エドワードが熊の着ぐるみを着込んでいる姿などが間が抜けて見えてしまうのは、かなり致命的。

(評価:★3)

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