[コメント] ロープ(1948/米)
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殺しのあとに青年二人が会話を交わす場面では、決定的な事をやってしまった二人が、それに伴う一種の脱力感と、遺体が見つからないようにしてパーティに備える為の制限時間的な緊迫感との狭間で時間を使っていく遣り取りが、実時間的に描かれることで、ワンカットにより作品世界に観客を取り込むという意味では取り敢えず及第点。そして何より、ラストシーンでジェームズ・スチュワートが窓から銃弾を撃ち、窓の下で人々がざわめく声が湧き、そして暫らくしてパトカーのサイレンが鳴り響く、この、青年二人の人生の喪失に向けて張り詰めた時間の演出は素晴らしい。
ジェームズ・スチュワートの独特の哲学が、殺人の動機に影響を与えていたこと、その殺人を暴露する探偵役がその彼であること、無表情で毒舌を吐くその人物造形、これらによる死神じみた雰囲気がなかなか鮮烈で、彼もこんな役を演じるのだなと面白く観た。
ただし、死体を隠した入れ物の上に食事を並べてパーティを行なうという変質的な行為にも拘らず、その禍々しさがもうひとつ発揮されず、いつも通りのドライで呑気なヒッチコック・ムードに終始するのは食い足りない。ピーター・グリーナウェイ辺りが演出したほうが良さそうな脚本だ。また、冒頭で唐突に絞殺される青年は、作品内でも完全にどうでもいい存在としてしか扱われていないので、最後のジェームズ・スチュワートの演説じみた説教には大した説得力が生じない。本来ならば、パーティ中の会話によって被害者の人物像が語られていき、そのことで、犯罪に覗き見的な興味を抱いていた観客の心理を操作したり、自らの行為に脅えていたフィリップ(ファーリー・グレンジャー)が正気を失いそうになる心情に根拠を与える等の工夫があっても良さそうなものだ。脚本のせいでもあるが、やはりヒッチ作品は表面的。そうした立体性の欠如は(表面に徹することで何よりも残酷な心理劇となった『めまい』は別格として)、ヒッチ作品を観るときにいつも、どこか映画の教科書を読んでいる感覚にさせる。
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