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[コメント] アキレスと亀(2008/日)

死とアート、或いは、死のアート。明らかに監督の自画像なのに、この、どこか冷めた距離感。少年・真知寿の父親役には蓮實重彦が適任だった気もするが。
煽尼采

**ネタバレ注意**
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父親が有力者で芸術愛好家、しかも少年期は確かに才能らしきものが覗いていた、という好条件が却って、後年の惰性的で支離滅裂な創作活動を止められない状況へと導いていく――これは『菊次郎の夏』以降の北野武自身とかなりの程度重なる。監督業を始めてしばらくはその天然の感性で海外での評価も勝ちとった彼だが(真知寿の少年期に該当)、菊次郎以降は変に個性を出そうとして、稚拙な意味で「映画的」な小手先の演出テクニックが目につき、良い作品は撮れていないと思う。

描きたいものが何なのか分からず、取り敢えず色々なスタイルを試みに取り入れてみる足掻きは、前作『監督・ばんざい!』の監督と同様。ウォーホルな極彩色のポートレートや缶の絵。リキテンシュタインなマンガ絵。イヴ・クラインなボディ・ペインティング。終盤では、真知寿と映画自体のテーマカラーが、赤になったり黄色になったりもしている。最後はヴァン・ゴッホな向日葵と心中しようと、絵筆を握ったまま丸焼けになる真知寿(ヴァン・ゴッホも自殺した事は周知の通り)。ラストシーンでは、錆びたコーラの缶を売ろうとしているが、現実の現代アート界を見ればこんなのは甘くて、自分のウ○コを缶詰にして作品にした人が実在したくらいだ(ピエロ・マンゾーニの“Merde d'Artiste”)。拾った缶を「作品」にするなど、デュシャン以降はむしろベタな行為。

真知寿の試行錯誤は、コメディ調に誇張されてはいるが、ネタか本気かさえ識別不能な現代アートのカオス状態を、かなりの程度、反映しているとは思う。ただ彼の、数々の絵の「もうひとつ」な出来を見るにつけ、静物デッサンのシーンの台詞「基礎は大事」が重く響く。

カフェだかレストランだかで真知寿が娘から、売春で稼いだ金を恵んでもらう場面では、娘が客と思しき男と店を出た後に映る真知寿の横顔の向こうに、彼が青年時代に画商の許へ持ち込んだ風景画が飾られている。当の画商から、こんな絵を描ける人は幾らでもいる、と当然の指摘を受けていたその絵は、恐らく真知寿の作品としては、唯一売れ、人目に触れる場所に飾られた絵だろう。それが掛けられた店で、売春の金を受け取るというのは、人に媚びる事でしか金は稼げないという事か。だがその絵は、真知寿が美術学校にも通う前の、我流で描いた絵。その後の真知寿が、個性を出そうとして模倣と奇行を繰り返すのは、逆説的にも、画商のアドバイスに従っての事であり、つまりは媚びているのだ。結局、娘から受け取った金は、真知寿自身が男娼と間違われて怖いお兄さんに奪われる。

この娘の死に顔さえも作品にしようとする行為に、遂にあの従順な妻も「人間じゃない!」と絶叫するが、これはこれで芸術家の業としては理解できるというか。例えば、詩人で画家のダンテ・ガブリエル・ロセッティが或る手紙に書いた、「瀕死の少年がいたらぜひ知らせてほしい。その周囲で起こる感情、特に母親のものが望ましいが、それを観察したい」という言葉など、人生の深刻な事態でこそそれを観察したいという願望は、芸術家特有の、割に普遍的な感情なのだろう。亡くなった深浦加奈子さんも、何かで大泣きした時に、自分のその表情がどんなものなのか鏡でつい確かめ、その行為に自身ハッとしたという話だ。

で、最後に唐突に結論めいた形で出てくる「アキレスは亀に追いついた」という言葉は何なのか。可能な解釈は様々だが、鑑賞後の僕の感想として言えばそれは、芸術を捨てず、しかも死なない事、だ。母や娘の死に顔さえ絵の題材にし、妻をボビー・オロゴンに殴らせ、自らも危うく風呂場で溺れ死にかけ、最後にも自殺アート的な行為に及ぶ真知寿。彼の周辺でも、少年期の、バスを描こうとして轢かれた裸の大将風の男や、青年期の、衝突アートで死んだ友人、芸術に絶望して飛びおり自殺した友人など、常に死がつきまとっていた。だが真知寿には、唯一の理解者として、妻が残った。ここに彼の救いがあると同時に、この映画が芸術そのものを苛烈に追究する映画ではなく、実はベタな人情話だった事が見てとれる。

やはり、あまりに造りが甘い。今回のシメの、画面奥へ伸びる道をトボトボ歩いていくという、ラストカットの一つの定型の使用は、『Dolls』での「赤い花がポトリ落ちて血の暗喩」と同じくらいクソだと思う。『その男、凶暴につき』で評価された歩きのシーンの無意味さ無償さ(つまりは空虚にして過剰)からの、なんという堕落。

音楽も締まりがない。かの坂本龍一は北野映画について質問された際、「何で彼は僕に音楽を頼まないんだろう。音楽以外は素晴らしいのに」(『skmt』)などと評していたが、それでもやはり久石譲は、彼なりに良い仕事をしていたのだと実感。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)NOM kiona[*] ぽんしゅう[*]

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