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[コメント] グーグーだって猫である(2008/日)

猫を通して生と死を見つめる小泉今日子も、異性を追いかける上野樹里も、食い意地の三連星・森三中も皆、猫である。淡々とした穏やかさの中にスッと挿入されるシュールさの絶妙感。だが所々で色々と匙加減を間違えているのが致命的。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小泉の演じる麻子の、言葉づかいが丁寧で、ボサボサ頭と清楚さの同居したやわらかい雰囲気がいい。表情や言葉にも常に、温かな深みが滲み出ている。しかしそんな彼女が一目惚れする沢村(加瀬亮)の、不躾で軽薄なキャラ造形は不快。終盤に向かうにつれて彼の鬱陶しさは薄められていくが、そもそも彼の存在感そのものが希薄になっている。こんな無用な存在を出した事で、彼に惚れる麻子までもが幾らか浅い人間に見えてしまうのが痛い。

またナオミ(上野)の彼氏・マモルを演じた林直次郎は実際にミュージシャンらしいが、演技のぞんざいさが目に余る。これは、マモルというキャラクター自体が多分にぞんざいな性格だという事とは関係が無い。演技が拙いのでキャラクターが確立していない。そんな男がいきなり頭からペンキを被ったり、ナオミ以外の女と一緒に居る所を見つかったりしたところで、何のサプライズも感じない。そしてここでもやはり、男と女の演技の温度差が気になってしまう。

マモルの浮気相手の女を中心とした若者像のステレオタイプさも、いかにも48歳のおっさん(=監督の事)が考えた若者といった印象で、うんざりさせられる。彼らに向かってナオミが青臭い演説をする様や、その結果として皆で病院の麻子にエールを送る光景なども、おっさんが勝手に固定観念で描いた若者を、おっさんに理解しやすく安心できる若者像に回収しようという、姑息な自己満足が垣間見えて、いかにも下らない。

この映画の美点は、淡々ほのぼのな雰囲気を保ったままでさり気なくサプライズを起こす演出の絶妙さにある。行方不明のグーグーを探す一行の前に突如、両側から現れる占い師姉妹。麻子が沢村を想いながら見つめる雲がまことちゃんに変わる事。猫の動きに合わせた、猫の鳴き声を早回しにしたような、不思議な効果音。マンガの取材の為に麻子らが老人体験をするシーンでも、まずいきなり視界のぼやけた画面へと移り、観客に「?」と思わせてから、麻子らの様子を映す。マーティ・フリードマンの唐突さや、終盤での、彼は実は死神だった、という更なる唐突さと同時に、それまで没交渉的な存在だった彼を麻子と猫の物語に組み入れる巧みさ。

その半面、老人体験中に浮気が見つかったマモルらとのスラップスティックな追いかけっこの悪ノリ感や、ここで一度使った「無関係なおっさんを巻き込む」というギャグが、続く病院のシーンにまでひっぱられたり、更には麻子へのエールの場面でまで使われるしつこさには興がそがれる。楳図ネタが三度も使われるのもしつこい。麻子の手術シーンの直後に、血を連想させかねない紅葉のショットが入るのも、ちょっとどうかと思う。

麻子を物陰からカメラで撮る男はストーカーかパパラッチか分からないが、これは麻子自身が猫をカメラで撮る様子とのアナロジーだろう。麻子だって猫である、と。ただこの男の役回りは、麻子のアシスタント女子たちにでも担わせた方がよかっただろう。あんな怪しい男を出して、観客にヘンな不安を抱かせる必要はない。ここでもまた匙加減を間違えている。

猫への避妊手術への躊躇いを漏らす麻子と、彼女自身の子宮ガン。猫のサバが人間の姿をとる事。猫の寿命の短さから麻子が発想した、老化する少女のマンガ作品。これは擬人化などというものではなく、人間と猫の皮相な区別を超えたメタフィジカルな視点だ。サバを演じた大後寿々花の、静かでありながらも芯を感じさせる佇まいも印象深い。

(評価:★3)

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