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[コメント] 地球が静止する日(2008/米)

人間的な幸不幸を超越した存在によって与えられる運命。霧と光に漂白された空間へ歩み入る人間。同監督の『エミリー・ローズ』と通底する作品。だが序盤の形而上的なスペクタクル性にひき込まれかけた頃に登場した‘奴’の造形の、無言のバカ映画宣言。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







‘奴’とは無論、あの巨人の事。何なんだ、あの、『ガンダム』を観た事のない人がテキトウに描いたザクのようなデザイン。リメイク元の『地球の静止する日』は未見だけど、ネットで画像を検索してみたところ、どうもそちらで登場していたロボットだか何だかの古典的なデザインを、本作が現代的なCGによって‘アリ’なデザインに仕立て上げよう、という野心&リスペクトがあった様子。それが成功しているとは全然思えないのだけど、このバカなデザインが予め登場していたからこそ、終盤のあまりにご都合主義な展開を笑って受け流せたとも言える。その意味では、図らずも絶妙なデザインだったと言うべきなのか。

巨人が、霧の中からその影を見せた時には、一瞬戦慄を覚えたのだが…。先にキアヌが同じく謎の球体の霧の中から影を見せて現れた直後であっただけに、画的な反復性の中の違和感、巨人の影の圧倒的な大きさのシュールさは、かなり強烈だった。だが、その全貌が現れた時には、この映画がどういう映画なのか痛感せざるを得なかった訳で。

その一方、先に中国人として地球に潜入していたらしい宇宙人とキアヌが、マクドナルドで人類絶滅を決定する場面には、その微かな滑稽さが、いい意味での面白さを生んでいた。マクドナルドという、アメリカの象徴であると同時に、グローバルに展開するファーストフード店、全地球的日常風景での宇宙人会議。この場面に至るまでにもこの映画には、アメリカへの皮肉な視点が覗いていた。人類の一大事に情報を独占し、軍事機密に神経質になり、アメリカ内部で勝手に事を進める国連無視の姿勢への、各国の非難。『インデペンデンス・デイ』の不快さが、ポスト・ブッシュ的情勢を反映して転倒されている格好だ。

終盤のご都合主義のいい加減さは、人類を断罪していたキアヌの心変わりの唐突さもさる事ながら、一応その理由であるらしい、コネリーによる「人類は変われる」の連呼が、他ならぬ人類の一員たる僕らに全く響いてこない点にある。幼い子供を絡めて‘母の愛’を印籠がわりにする、SFにありがちな決着のつけ方にも辟易。ただ、彼女とその息子とが、血のつながりを持たない事と、彼女が、懐こうとしない息子の信頼を得るまでに、殆ど本作の丸々全篇を費やしている事などからは、母性は主体的に‘獲得’されるべきものなのだ、というメッセージは感じとれる。パソコンのゲームに夢中で、「死んだ」とか「殺せばいい」と簡単に口にする息子が、宇宙人キアヌとの和解を経て、遂には、血のつながりのない母を「ヘレン」ではなく「ママ」と呼ぶ事。キアヌを包んでいた繭が、宇宙人が合成した胎盤状の保護膜であった事なども、母胎の必要性という形で、母性という主題を補強していた。

それにしても、大きな胎児のようなキアヌの登場シーンと、最後の去り際を見て、『マトリックス』のネオと同じような役柄だと感じないではいられないのであり、これはあからさまなレファレンスと見るべきなのかと戸惑わされる。色々としっくりこない映画だが、そこが妙に面白いとは言える。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)stag-B これで最後 Orpheus ババロアミルク[*] けにろん[*] peacefullife 3819695[*]

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