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[コメント] ベンジャミン・バトン 数奇な人生(2008/米)

逆回転人生という設定は、そこから当然予想されるドラマ的葛藤の演出は大して与えられず、むしろ、ドラマ性も時空も超越した永遠性が前面に顕れているように思える。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ベンジャミン(ブラッド・ピット)は、養老院で育つことによって、「老人の体をした子ども」という葛藤を免れているように見える。そのせいで映画自体が、ドラマ性に欠けた淡白なものとなっている嫌いはある。その反面、ベンジャミンが養老院で日々「死」を見て育つことで、それを特別視しない、達観した性格を形成していくことにもなる。そしてそれは、彼という存在を特徴づけ、映画全体の性格をも形作ることになる。

「死」に慣れる、という点では、まさに死の床にある老デイジー(ケイト・ブランシェット)の入院している病院の看護婦もまた、デイジーの娘に対する態度に於いて、どこか事務的な同情とでもいった態度によって、死を平板化している。それはベンジャミンの達観とはまた違うものではあるのだが、ベンジャミンの育ての母の、養老院での振る舞いをどこか反復しているようでもある。

デイジーは、逆に、事故に遭ってダンサーの道を断たれた後、自らの開いたダンス教室に、子どもたちを集めていた。ベンジャミンは彼女の許を去ったが、結局、子どもとして、デイジーの腕に抱かれて逝く。痴呆のせいで記憶を失っているベンジャミンは、幼い外見どおり、「過去の人生」など持ってはいない。小さな幼子となったベンジャミンの姿は、まるで「ベンジャミン・バトンの人生」などというものは最初から存在しなかったかのような印象を与える。唯一、彼を慈しむデイジーの老いた姿だけが、ベンジャミンの積み重ねてきた時を感じさせる。

ベンジャミンは、時だけではなく、空間的にも、船乗りとして世界を回り、妻子の許を去った後も、やはり世界各地から手紙を送る。彼以外にも、デイジーもまたダンサーとして世界を回るし、ベンジャミンがデイジー以前に恋人同士になっていたエリザベス(ティルダ・スウィントン)も、スパイの夫に従って、世界を回っているようだ。このエリザベスは、たぶん意図的に、デイジーと似た容貌の女優が選択されたのだと思う。

プールで体力の衰えに愕然となっているデイジーに、ベンジャミンは、「事故が無くても今頃は年齢的にダンサーは無理だ」と慰めるが、この台詞には、老いを受け入れたくないデイジーと、死も老いも達観して見ざるを得ない人生を歩んできたベンジャミンの、深い隔絶を感じさせられる。肉体と心のズレによる葛藤を殆ど描かれないベンジャミンは、人生の永遠性というものを描く上での一つの要素として演出されている印象がある。彼は所謂「主人公」と呼べるような存在ではないのではないか。これは結果的には一長一短のある結果を招いていると思う。主題の超越性と、ドラマ的な淡白さ。

最後に、台風が病院に到来し、皆は避難しようとして騒然となる。その騒動の中、デイジーの死は、時の流れの中の小さな泡のように後景に退き、人々は皆、「生」へと向かう。そうして、例の逆回転時計もまた、水の中へと沈んでいくのだ。

(評価:★3)

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