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[コメント] ウォッチメン(2009/米)

最初の内は「アイドルもウ○コする」レベルの「現実」を鬼の首でも獲ったように描く幼稚さも漂うが、次第に「平和」「正義」といった哲学的主題に肉薄していく。「時間」を「watch」する者達。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「マントが引っかかったせいで殺されてしまったヒーロー」の話など、パロディの最たるものだが、これがギャグではなく、現実的な話として語られるところが、この『ウォッチメン』の特徴。超人的な能力を持つDr.マンハッタン(ビリー・クラダップ)の、分身を用いたシュールな性生活など、何かネット上の「悟空とチチの性生活」のようなパロディ感覚が散見される。それを飽く迄もシリアスを貫く所に新奇性がある。ロールシャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー)がコメディアンの仇敵を尋問するシーンなど、癌で死にかけている無抵抗の爺さんをいたぶっているだけにしか見えず、ロールシャッハの偏執的な正義感が何ともリアル。

題名にある「watch」は、据え置き時計の「clock」に対し、腕時計や懐中時計を指す言葉でもある。この作品のロゴ的な象徴でもある、コメディアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)のスマイリーバッジについた彼の血痕も、円形のバッジの中心から外側へ伸びた矢印型で、ちょうど終末時計の針の形になっている。尤も、終末時計は「Doomsday clock」で、「watch」ではないのだが。Dr.マンハッタンも、過去と未来の時間を見る能力がプロット上、大きな鍵となる。序盤からモノローグの形で用いられ、ラストでも強烈な意味を持つロールシャッハの手記も、年月日を律儀に記入した、「時間」の観察記録のような体裁だ。終盤でニューヨークが破壊されるシーンも、腕時計の歯車が停止するカットによって開始される。Dr.マンハッタンの台詞にある「職人の手によらない時計だ」は、進化論について創造論者が言う「職人の手を借りずにひとりでに時計が出来上がるようなもの」という喩えを裏返した言葉だ。

偏執的な正義漢・ロールシャッハは、人間として最高の頭脳を有するオジマンディアス(マシュー・グッド)と、超人間的な達観を示すDr.マンハッタンが共に理解する冷厳な論理の間に挟まれながら、最後まで、彼なりの冷徹さに基づいて、一個の人間レベルの正義を貫き通す。彼らに比べればコメディアンの方がまだ人間とも思えるのだが、僕はむしろ、人間としての箍の外れた冷徹さを有したこの三人が、非常に魅力的に感じられた。ロールシャッハは、他人にその深層心理を問うロールシャッハ・テストを顔面に持ちながら、自身はマスクで顔を隠しているという、或る意味、卑怯な顔をしたヒーローである倒錯性が面白い。オジマンディアスの計略に引っかかった彼が、警官達から逃れようと奮闘しながらも、結局は多勢に無勢で捕まってしまう所など、「あ、捕まっちゃうんだ」という現実感が切ない。マスクを剥がれたその顔もかなり貧相で、これまたリアル。だが、演じるヘイリーが素晴らしいのは、この、どこにでも居そうな顔の男に、取調室から刑務所シーンへと移っていく中で、すぐさまカリスマ性を回復させるところだ。

「人の邪悪な心を変えることに比べたら、プルトニウムの性質を変えることの方が遥かに容易だ」。アインシュタインのこの言葉を想起したのは、Dr.マンハッタンの「私にはあらゆることが可能だが、人の心は変えられない」という台詞だった。この作品の哲学的な面を一身に担うDr.マンハッタン。科学が生んだ最も忌まわしい発明を想起させる名(=マンハッタン計画)を持つ彼が、人類として最も神に近づいた存在でもある皮肉。ラストシーンでナイトオウル(パトリック・ウィルソン)とシルクスペクター(マリン・アッカーマン)が交わす会話はこうだ。「人類は大丈夫なの?」「人々が、ジョン(=Dr.マンハッタン)が見張って(watch)いると信じている限りね」。核抑止力の擬人化であり、また、人類を見張る神でもあるDr.マンハッタン。だが、ジョンが「Dr.マンハッタン」に変身させられてしまうシーンでは、電撃を受け、剥き出しにされた骸骨が崩壊するという、終盤でオジマンディアスの計画の犠牲となった人々が死ぬ姿と同じ姿を晒している。彼も哀しい存在なのだ。ウォッチメンの面々は、オジマンディアスに漂う絶対の孤高(それは傲慢さでもあるのだろうが)も含め、皆どこか哀しい。どんな個性であれ、「ヒーロー」とは哀しい存在なのだ。

オジマンディアスは、既存のエネルギー事業の継続を望む経営者らに決別を告げるシーンで、秘書から「新しい悪役はどうします?古い悪役は死にましたが」と訊ねられて「私にアイデアがある」と答え、腕時計(watch)に目をやるが、その時にエレベーターの扉が開いて、暗殺者が登場する。どうもこれも彼の計算通りだったようで、恐らくは、ゴネる経営者らを一掃すると同時に自らも「ヒーロー狩り」の標的を装うための策略だったのだろう。結局オジマンディアスはDr.マンハッタンを「新しい悪役」に据えることになる。後から見れば非常に象徴的なシーンだったわけだ。

途中、恋仲となったナイトオウルとシルクスペクターが、ニクソン(ロバート・ウィスデン)による禁止条例を破るかたちで、ヒーローとして火事から人々を救うのだが、鑑賞中は蛇足とも感じられたこのシーン、思えばこうした素朴で親しみやすいヒーロー的行動は、終盤の、人々の悪しき心の征服者・オジマンディアスによる、「世界平和」のために街ごと人々を滅ぼすという行為によって、全くの無意味にされる為にあったのかも知れない。つまり、既存のヒーロー像への批評性。ナイトオウルとシルクスペクターが命がけで火の手から守り抜いた人々は、ニューヨークの崩壊と共に灰と化しただろう。それでいて、皮肉なことに、「一人でも多くの人々を救いたい」という目的は、素朴型ヒーローも征服者型ヒーローも同じなのだ。

ナイトオウル=ダンは、シルクスペクター=ローリーと最初に情交に及びかけたシーンでは、服を脱ぐ際に腕時計(watch)を外しながら「ごめん」と呟き、いざ事に及ぼうとしても、うまく起たなかったようだ。だがヒーローとして二人で活躍することによって、不能を克服する。彼の空飛ぶマシーンのボタンをローリーが押して炎を吹かせる行為もこのシーンで反復されているが、どう見ても射精の暗喩であるこれを街の人々が見上げているカットが可笑しい。

どこか人として歪んだ面が面白くもある他のウォッチメンらと比べて、ナイトオウルとシルクスペクターは、常識人な分だけ詰まらないキャラクターではある。シルクスペクターはDr.マンハッタンとの絡みによって魅力を与えられている面が強く、その彼女に絡むことでナイトオウルにも魅力が付加されている感がある。しかも二人は共に「二代目」でもある。彼らは、ごく平凡なヒーロー像をなぞる者としてのポジションなわけだ。特にシルクスペクターは、露出度の高い母譲りのコスチュームを嫌がる台詞があり、その母にしても、コメディアンから「誘ってるんだろう?」と陵辱されかかってもいる。これは、スーパーヒロインにありがちな、露骨な読者サービスである無防備なコスチュームへのツッコミでもあるのかも知れない。

全篇、暗く重い画。日中と思しき場面でも曇天に雨。これにより、シリアスさと馴染み難いヒーロー達の姿も、ミスマッチの妙と感じられる程度に画面に馴染ませることに成功している。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)プロキオン14 HW[*] けにろん[*]

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