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[コメント] 曲がれ!スプーン(2009/日)

可愛いはずなのになぜか瞬間的に不細工になる時がある長澤まさみの「普通さ」が良い作用。超能力者の「あるある話」的な日常感や、ちょっとした緊張感をとぼけた雰囲気で包み込む構造など、気楽に観る分には悪くない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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NHKの「ミニミニ映像大賞」の審査員として尤もらしい論を語る割には稚拙さがいつまでも抜けない本広克行。『少林少女』のアホらしさ含め、その底の浅い明るさには特に厭な印象は抱いていないのだが、本作ラストのUFO降臨シーンに於ける、子どもらの表情をストップモーションでいちいち捉えた画の、広告写真的な皮相さ漂う健全さと明るさには呆れる。それぞれの生活を抱えている人々が、夜空に現れた光にそれぞれの仕方で反応するこのシーンだが、人々の生活感がまるで見えない画のせいで、予定調和的な奇麗事にしか見えない。また無駄に長いんだこのシーン。制作者側が勝手に満足感に浸っているだけに思えてしまい、却って冷める。

米(よね)が、超常現象を捉えようと慌ててカメラを構えるシーンで、いちいちレンズのキャップが着いたままになっていることで、彼女のおっちょこちょいな性格を演出しているのだが、これはまた、彼女が超常現象を追い続けるのは、マスコミ人としての好奇心や野心からではなく、子どもの頃からの夢を追うという、ごく個人的な想いに突き動かされてのものだということをも感じさせる。またそれは、サンタクロースを信じるような無邪気な気持ちによるものであり、何か特別な力を得たいという願望を抱いているわけでもない。だからこそ、上司に「何度もスプーン曲げに挑戦したんですけど、一度も曲がったことはないんです」と言っていたそのスプーン曲げに遂に成功する駅ホームのシーンでも、彼女はやはりキャップを着けたままのカメラを、光り輝く夜空に向け、曲がったスプーンは彼女に気づかれないままに地面に落ちている。

また、脚本的に一つポイントなのは、カフェに集まる超能力者たちの特殊能力が、意外に役に立たないということ。超能力者と勘違いして迎え入れてしまった「細男」の処置には四苦八苦するし、透視男が余計なものを覗いたせいで、米の上着から毒蜘蛛を追い出すために大騒ぎすることにもなる(しかも蜘蛛は見間違い)。それ故、彼ら超能力者は、「他人と少し違うところがある」という点では、「細男」というしょうもない芸しか持たない男や、子供の頃に見た隕石墜落の記憶を大切にしている米などとも、大した違いがない。カフェのマスターが最後に予知能力らしきものの芽生えを見せるのも、超能力が日常生活の延長線上に捉えられている証しだろう。

超能力者らは、下手な「サンタの飛行」を演出したことで、米に超能力を悟られてしまうのだが、米にそれを見せたのは、新入りのテレパシー男が米の「信じたい」という想いを読み取ったからだ。この新入りが、登場シーンで皆に力を披露した際、「或る程度の強い想いなら」見えると言っていた台詞の通り、米の想いはその「強さ」のままに、強烈なイメージとして炸裂して見える。別れの際に米が、自分から彼と握手して「誰にも言いません」と通信してくるシーンも、観客にボイスオーバーとして明瞭に聴こえるということで、その想いの純一さが窺い知れる。

それと、『踊る大捜査線』でも見られた、意外なキャスティングの妙が本作でも発揮され、UFOを呼ぶ男として登場した三代目魚武濱田成夫のポエムとキャラクターが、そのイタさと無根拠なスケールのデカさでピタリと役柄にはまっている。どんな存在にも何らかの役割を与え得る「映画」の懐の大きさをまた知った感。

(評価:★3)

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