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[コメント] エアベンダー(2010/米)

役者たちが熱演しているのを見るのが痛ましくなるほどの犯罪的な駄作だが、まあ笑える種類のダメさなのがせめてもの救いか。そこはM・ナイト・シャマランらしい無邪気さが幸いしているが、あらゆる面で幼稚に過ぎるのが致命的な欠点でもある。
煽尼采

「Airbender」というより「Earbender」(お喋り屋)だろう、と詰まらぬ洒落を言いたくなるほど、状況や心理をナレーションで説明する手抜き演出に苛立たせられる。割に短めの尺にも拘らず、何かに追われているかのようにシーンを端折っていくせいで、恰も再編集された総集編のような駆け足具合。それならもっと尺をとればよかったのに。そもそも導入部からして、初めてその世界観に触れる観客がそれに慣れる暇も与えず早々に本題に入っていく乱暴なアプローチで、まるで、DQNな連中による遊びの誘いだとか、新興宗教の勧誘のような強引な運びにうんざりさせられる。お前の勝手な前提にこっちが付き合う謂れはねぇよ、と言いたくなる。

仲間たちが巨大な愛玩動物的な生物の背に乗って旅するシーンなどは『犬夜叉』辺りを髣髴とさせるし、地面の土が防御壁となってせり上がってくるシーンは『鋼の錬金術師』、少林寺な少年が超自然的な技を駆使して格闘する様は『ドラゴンボール』を連想させるなど、視覚的なところで少年マンガ的な匂いを濃厚に漂わせるが、脚本もまた、悪い意味でマンガチックな、男子中学生が書いたのかと思えるほどに雑な内容。原作がアニメだから当然といえばそうなのだが、シャマラン史上最も予算がかかっていそうなこの「大作」の内容がこれだとは、哀しくなる。

中国も日本もチベットもカンボジアもごっちゃになったようなアジアンテイストの世界観には、東洋といえば全部一緒くたに考えているのかと呆れてしまう。これに比べたら、『スター・ウォーズ』シリーズのデザイン力は見事と言うしかない。また、こんな舞台設定にも拘らず主要な登場人物は欧米人が演じているという、何だか植民地主義的なこの映画をインド人のシャマランが監督しているのだから失笑するしかない。本人は幼少時にアメリカに移住したそうだから、頭の中がアメリカナイズされているのは仕方がないのだろうけれど、そのアメリカでさえ、というか、アメリカならなおさら、ここまであからさまに人種的配慮がないのは拙いんじゃないですかね。

地水火風の四大元素それぞれに精神的な姿勢を対応させるのなら、宗教的・哲学的に思想的な背景をしっかり構築しておく必要があるのだが、誰でも思いつきで言えそうな浅薄な教えがペラペラと口にされる程度なので、主人公アンの成長物語として一切期待できるものがない。今回が「水の巻」だと銘打たれても、今後のシリーズがどうなるのだろうという期待感など抱きようがない。というか、本作を作ったこと自体が大きな間違いなのだから、変に体裁を繕おうとして無理に続けるような愚行をとるべきではないだろう。

ワンカットでアクションシーンを撮る演出も、取って付けたような不自然さで、単にこういうシーンを撮ってみたかったのだという、幼稚な映画小僧的作為しか感じられない。ズームイン&アウトのかけ方も気色悪く、観客の眼前の光景が演出家の手で機械的にコントロールされている人工感を露わにし、冷めた気分にさせてくれる。格好つけて挿入している分、よけいに間の抜けた演出に見えてしまう。

そもそも、なぜシャマランがこの原作付きの作品の監督なのか理解不能。彼のキャリア上の汚点と言うしかない。シャマランの過去作では「水」や「風」が世界観の構築に一役買っていることもあったが、本作『エアベンダー』のそれとはまた異質なものだ。また、確かに彼は過去作の多くで、典型的な「物語」を素朴に信じることを通して人間ドラマを描いてきた監督ではある。そのあまりの素朴さゆえに現代的な不信の念に晒されざるを得ない「物語」を、言わば「屈折した直球」を投げることで救済する演出家として、無二の個性を発揮し続けてきたシャマラン。その微妙なバランス感覚に支えられた作風は、ときには『レディ・イン・ザ・ウォーター』のように、「物語」の空中楼閣的な脆さに身を預けすぎたこともある。だが、徹頭徹尾、幻想としての「物語」を描くこの『エアベンダー』の出来の酷さは、シャマランにとって、抗うべき対象としての「現実」の冷酷さや「不信」という裏面が、その世界観を支える土台として不可欠だったことを再確認させた。本作の台詞に倣って言えば、「陰と陽」の陰が欠けているせいで、語られる物語が徹頭徹尾、バカらしい絵空事としての脆さを露呈しているのだ。

もうひとつ致命的なのは、これまでのシャマラン作品では「誰かを救いたい」という強い思いが、登場人物たちの動機として用意されていて、そのことが、本来ならば脆い「物語」を懸命に成立させようとする映画への感動に直結していたのに対し、今回はそうした動機が弱すぎるということ。主人公アンは、護る存在であるのと同時に護られるべき存在でもあるが、そこは「アバター」の宿命として簡単に回収されてしまい、彼・彼女らの内的な動機として自立するだけの描写が為されていない。

ヒロイン役のニコラ・ペルツが全然可愛くないというのが、最後のダメ押しのように、画面の求心力を奪う。アン役のノア・リンガーの方がまだ可愛げがある。

(評価:★2)

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