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[コメント] 乱暴と待機(2010/日)

美しすぎる美波。顔が既に役柄を説明しすぎな小池栄子。小器用に演じすぎな浅野忠信。「覗き」という行為のサスペンスが成立しない緩さ。情報の提示と秘匿のバランスの悪さ。明かされる真相の平板さ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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美波のノーブルで端麗な容姿は、他人への過剰な気遣いによって小さな点にまで自分を収縮してしまうようなキャラクターには合っていない。その必死さに何らかの背景や奥を感じさせず、ただ努めてそうした役を演じている芸達者ぶりばかりが目立つ。小池栄子の、ギョロ目をはじめとして全てのパーツが大きめの、肉体的な押しの強さが抑えた演技と相俟って醸し出すキャラクタリゼーションには特に欠点は無いとは思うのだが、きれいにハマリすぎていて面白くない。浅野忠信も、そのやけに厳めしい喋り方がどこかわざとらしく、何か一心に思いつめる、極度の視野狭窄が滑稽さと存在感を生じるはずのそのキャラクターが結晶しえていない。また美波は小池と浅野両人と関わりのある過去を持ち、それがプロット上は取り敢えず「謎」として機能させられているかに見えるのだが、その真相は凡庸極まるもので、人生の滋味も笑いも何も無く、単なる面白さや驚きなども皆無。

美波の尿失禁や、美波が山田孝之との野外シーンではしゃいでみせるときに入っていく川、この二人のベッドシーンを天井から覗く浅野が美波の脚に垂らす汗、小池の破水、と何やら水分多めの作品に見えるのだが、一応テマティスム的に論じてみるなら、「境界の侵犯」とでもいったテーマに連なるものなのかもしれない。だが美波と浅野の暮らす家が、覗きという映画的行為を演出するにはその密室感を巧く成立させていないので、小池の窓ガラス破りや浅野の天井破りも見た目の派手さほどには効果的でない。天井から紐で吊るされた状態の浅野が放心状態でブラブラしているシーンにしても、巧い演出家ならもっと笑える画にできたはず。冒頭の、引越し用トラックの荷台から小池が脚を突き出したまま走るカットの構図、そこに挿入される文字の大きさや位置、フォント等のセンス、それとエンドロールでの美波が洗濯機を操作している光景を引きで捉えたカットなど、物語から一歩距離を置いた箇所では映像センスが認められる。この姿勢が全篇を貫くべきだった。

覗きがバレた後、美波と浅野が上下のベッドで「思ってもいないこと」「嘘」として、二人の関係のかけがえのなさをいとおしみ合うシーンなど、本音を言っているのではないという表層を取り繕う必死さが出ていて然るべきだと思うのだが、安直に心情をダダ漏れさせていてどうしようもない。美波が山田に誘われたとき、ベッドが狭いかなと言う山田に「上のベッドなら」と、浅野が覗きやすいように仕向けたともとれる台詞を返すのは面白いのだが、ここは最後まで謎にとどめておいた方がよかっただろう。山田と暮らしているところに訪ねてきた浅野に真相を明かす台詞は余計。この、覗きを知っていたという台詞こそが偽りの強がりだという解釈も可能だが、いずれにせよ、必死に浅野にすがりつくようなキャラクターに美波が見えないのは致命的。

未読だが本谷有希子の原作では、美波の役は読経ではなく「おにいちゃん」を喜ばせるためのネタ作りをしているらしい。これなら、一人でいるときにも浅野との関係性が彼女の中で持続する形になっているのだろうけれど、これがなぜ読経などという自己完結的な行為に変えられてしまったのか。全篇通して、冨永昌敬が何をしたかったのか不明。

(評価:★2)

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