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[コメント] トスカーナの贋作(2010/仏=伊=ベルギー)

原題の、「認証謄本」を意味する言葉を「正しい紛い物」という矛盾した意味へと読み換えていくような形式が見事、なのだが、嗚呼、やはりジュリエット・ビノシュ苦手だわ、と、徐々にウザさを増していく彼女に耐える約二時間でもある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ビノシュの、要は「私をもっと構って頂戴、愛して貰えないと耐えられないの!」という単純な想いに色々と論争的な装いを被せつつ突っかかってきたり、安っぽいレストランで急に女っ気を出して口紅を塗りイヤリング(なんでそんな物を隠し持っている?)を着け、物欲しそうな様子で席に戻るといった一連の言動が、なんともウザい。どうも彼女の、可愛らしい女を演じてるでしょ私?という雰囲気がいつも鼻につく感じが苦手だ。溜息。

贋作についての議論から始まるこの映画は、全篇が会話劇でもあり、「言葉」が重要な要素。カフェで女主人(ジャンナ・ジャンケッティ)に夫婦と間違われる(というか、逆にこのシーンまで他人を装っていたのかも判然としない)ことで夫婦関係へと転換するビノシュとウィリアム・シメル。女主人に対してビノシュは、夫は英語しか話せない、フランス語もイタリア語も駄目、と話していたが、シメルはこのシーン以降、この言語的境界線も何食わぬ顔で越えてしまう。この二人の関係、事の真偽の曖昧さが、単に会話の内容のみならず、言語そのものによっても撹乱される。

「髭を剃るのは二日おき」という習慣を結婚式でも保った過去が、最初は不満と厭味、後には一抹の懐かしさや愛おしさを込めてのように、ビノシュによって語られるシメル。ビノシュから、その冷たさは「自分を守る為なのね」と評される彼は、当初の「九時の列車に乗らなければ」という予定を変えることなく、新婚時の思い出のホテルにビノシュを残して去っていく。このラストカットでは、鏡に映った教会の鐘が二つ並んで鳴る様が、ビノシュとシメルの二人が叶えられなかった関係性の幻想、残像のように映じる。

一人で教会に入ったビノシュを追ってシメルも教会に入り、中から一緒に出てくるシーンでも、彼らの前を、仲睦まじい老夫婦が歩き、広場の彫像についての議論では、やはり観光中の老夫婦との絡みがある。カフェで二人が「Certified Copy」な夫婦へと変身するのも、女主人から夫婦に見られるというのが転機になっている。他人からどう見られるか、他人と一緒に(同一ショット内に)居るときに自分たちはどう見えるのか。この点が、芸術作品の価値についての「それがどう見られるか」を巡る議論とパラレルになっているのがよく分かる。そういえば、ビノシュは息子(アドリアン・モア)に対しても、ゲームに熱中しないでこっちを見なさいと注意したり、携帯電話越しに探し物をさせるシーンで、彼女が言葉で導いた通りの物を見ない息子に苛立っている。

携帯といえば、冒頭の講演シーンでビノシュが息子に促がされて去ろうとした際、シメルの携帯が鳴ってビノシュの笑みを誘ったり(着信音が鳴った際、ビノシュか息子のだと思った)、カフェでビノシュが女主人としばらく話すのが、シメルが「大事な電話」に出る為に外に出ていたことによっていたりと、使い方がさりげなくも巧い。これも「言葉」の介入の仕方のひとつとも言えるだろうか。

ビノシュが、若い新婚の男女の前で、仲睦まじい夫婦を演じたせいで「一緒に写真を撮って」と求められ、ジェームズが嫌がったり、安レストランで、シメルの背後の窓越しに見える新婚男女の様子を覗こうとして「視界を塞いでるか?」とシメルが文句を言うシーンなどに、「見ている」ものがまるで違う二人のすれ違いが見てとれる。この後者のシーンの直前、ワインのコルク臭に怒った(因みに、個人的にはこの気持ち分かります)のがきっかけでシメルが一旦席を立つのだが、そこでビノシュは、手洗い場で鏡に向かって身繕いしていたときと同じように、窓ガラスに向かっている。つまり、シメルの為におめかししていた筈の彼女は、あの新婚男女に投影された幻想に向かってそうしていたわけだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)赤い戦車[*]

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