[コメント] カメラを止めるな!(2017/日)
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カメラの前の事象が、笑いや納得に回収され尽してしまうと却って映画が貧しくなるということが、一般的な観客に理解されていないことを如実に示した痛恨のヒット作。仕掛けそのものも別段新奇というほどではない。『ONE CUT OF THE DEAD』での、変な間、ぎこちない会話、不可解な言動。それらは、むしろ現実的だと感じられた。ワンカットゆえに捉えられたリアルな空気感に見える。絶叫女優の「こんな所に斧が。ついてるわ」という棒読み台詞は別にして。
しかし、そうしたものは全部、「いやーぁ、実はこれら全部、ワンカット生放送のゾンビドラマでしてね。皆さんが『なんかヘンだなー』と疑問に思われた数々の裏側を、今からご披露いたしますね?」と解き明かされていくために用意された伏線でしかなかった。そうして、ナマな現実の不可解さ豊かさとも見えた光景は全て、後半のコメディによって理由づけされ回収されてしまう。
その回収にしても、撮影に入る前の伏線で予想できてしまう箇所は幾つかあり(水で腹下す男、腰痛カメラマンと交代したがっているふうな助手、アル中俳優)、監督とその妻が代役で出演することはハナから分かり切っている。放送中に続出するトラブルを、登場人物たちと共にハラハラ、ドキドキと共有することは叶わず、『ONE CUT OF THE DEAD』が最終的にどういう形に落ち着くのかの答えは冒頭ですでに示されている。
最後の人間ピラミッドも、上に乗る人間の重量に耐えるゾンビメイクの役者という、フィクション(彼らはゾンビである)と現実(彼らは普通に生身の人間である)とのギャップによる笑いと感動がそのカラコンでゾンビ目にされた眼差しに宿っているのだが、結局こんな、既存のベタな物語性という一点に全て回収されてしまうんだな、と。最後の最後に、もう一度ちゃぶ台返しをしてくれたなら、と思いながらも、そんな期待は持てないなと思って観ていたら、本当にそのまま終わってしまった。エンドロールの、メイキングを描いた物語のメイキングというメタメタ構造の映像も、やっていることの構造は変わらず、ただそれをもう一重にかぶせてきたというに過ぎない。
『ONE CUT OF THE DEAD』は、廃墟の空間性(高低差、距離感)を活かした画が見応えあったけれど、これにしても一般的な観客は、カメラが被写体に追いついていない不自然な画としか見ていなかったかもしれない。そうしたことを想像すると本当に憂鬱になる。
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