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[コメント] ゴースト ニューヨークの幻(1990/米)

意外に視覚的な面白さや、場面作りの的確さが追求された映画。恋愛劇よりもサスペンスとコメディが前面に出ている観があるが、だからこその感情移入の末に、やはり泣かされる。またこれは「触れる」事を主題とした映画とも呼べるだろう。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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そして、サムが、決して触れる事の叶わない場所、天国へ行くまでの物語でもある。

サムが殺されて霊となる前から、彼が最後に行くべき場所、天国を指し示すかのように、「上」を意識させるショットが幾つかある。天使の彫刻をアパートの窓から入れようと吊るしている場面や、ビルから掲げられた星条旗を捉えた、仰角のショット。何より冒頭が、天井を破る場面から始まるのが暗示的だ。サムを迎えに来る白い精霊は、上から訪れる。一方、悪人を迎えに来る黒い霊は、地面から湧き出すようにして現れ、死んだ霊を地に引きずり込む。

霊となったサムが念力で物を動かす場面は、彼の怒りや愛の強さを「触れる」という事によって表現している。彼が霊になる前の、モリーとのラブシーンに於いて、彼女とロクロを回して捏ねる粘土の歪みは、「触れる」事の官能的な視覚化となっている。このラブシーンを閉じるショットが、ジュークボックスのレコードが人の手に「触れられぬ」ままに自動的に元の場所に収められるショットなのも、意味深に感じられる。触れる事に関しては、カールとエレベーターに乗ったサムが、感染症で触れると危険だという嘘の会話を交わす悪戯をしていたりもする。霊媒師オダ・メイの店も、手の形をしたネオンが看板になっている。

サムの念力の師となる駅の地縛霊は、最初は雑魚キャラのように登場しながら、再登場の際にはあたかもヨーダのような師匠格に昇格するという、捻りの利いた描かれ方がされていて面白い。初登場時に、霊のくせになぜかガラスを割る、という謎を残す伏線の敷き方も利いている。また師匠格になって後もこの霊が、タバコを吸いたくても吸えない苦しみや、殺された恨みを抱いてヒステリックになる様を見せる事で、サムはいつか天に昇るべきだと観客に思わせる、反面教師の役をも担っている。

まあ、厳密に言えば、死んだばかりのサムが、階段や、二階建て以上の建物の床に立ち、椅子に座っているのはどうしてなんだという話にはなるのだが。サムは、人や物に対して最初は自分の体が通り抜けるなどとは思ってもみないにも関らず、突き抜けてしまうのだから、床だけ例外というのも、理屈の上では妙な話ではある。勿論、映画の演出上の理屈としては受容できるのだが。

意外に控えめなラブストーリー的要素。だが、サムの霊の存在をモリーに証明する為にオダ・メイの口を介して語られる、二人の数々の想い出の多さは、観客にその絆の強さを想像させる。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)緑雨[*] ダリア[*] Myurakz[*]

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