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[コメント] 幸福〈しあわせ〉(1965/仏)

モーツァルトの音楽のように完璧な幸福の光景が、微かな亀裂によって、恐るべき光景へと変じていくこと。素晴らしい色彩設計、フォーカスやカット割りの実験性にも関らず、ミニマルな演出による最大限の効果をもあげていることの驚き。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オープニングの向日葵畑のショットでは、向こうからこちらへ歩いて来る、赤い服の四人家族の姿は、フォーカスが合わされていないので、幻のようにぼんやりとした像になっている。そこに瞬間的に挟み込まれる、一輪の向日葵。まるで向日葵がこちらを見つめているような錯覚に陥らされる。このユーモアと、ちょっと怖いような雰囲気。そして、幸福な家族の曖昧な像。初っ端から主題は明確に示されていたわけだ。

画面をフェードさせる際に様々な色を使っているのが目に愉しい。ライターの火から赤にフェードアウトしてキャンプファイアーの映像が現れたり、パッパッパッといろんな色が現れたかと思うと、幾つもの色の三角旗の映像が出てくる、といった感じで、遊び心に充ちている。

色彩に関して言えば、森の緑や、壁紙の色、部屋に置かれた花の色などと、衣装の色とが巧みな色彩バランスをとっているのにも感心させられる。ラストショットの、紅葉の季節になった森でも、フランソワとエミリは黄色い服を着ている。

また、視線の描き方が繊細かつ緻密。フランソワとエミリがカフェで話すシーンでは、最初は、並んで座る二人を、どちらかが台詞を発するたびにカメラがそちらへパンして、一人ずつショットに収めるが、すぐに二人一緒にショットに入るようになる(急速に縮まる距離)。そして切り返しショットでの、カメラのちょっとした動きやフォーカスの細かい調節が、人の視線の向き方としてとても自然な感じを生んでいる。微笑むフランソワの背後に女が歩く姿をショットにしっかり入れているのも、エミリの、男に対する微かな不信を匂わせているように思える。

フランソワがエミリの部屋を訪ねるシーンでは、部屋の家具の一つ一つを捉えたショットが瞬間的に挟み込まれる。愛人がどんな暮らしをしているのかと視線をチラッと送りながらも興味は愛人そのものに向かっている男の欲望を感じさせて、実にリアル。

テレーズがキッチンでフランソワに映画女優の話をふり、どちらの方が好きかと訊ねると、自分が好きなのは君だと答えるフランソワ。それに続いて入るショットは、彼の職場の戸棚に夥しく貼られた女のグラビア。こうしたシニカルな編集が随所にあって面白い。フランソワが「次の子供を作るには今は暇がない」とテレーズに言った直後のショットで彼がベッドで抱いているのが愛人なのか妻なのか、カメラが退いて壁紙の色が見えるまで分からない所など、笑っていいのか、怖い場面なのかと困惑させられる。

いちばん気に入ったショットは、序盤にあった、黄色い、花柄の壁紙の前に置かれたテレビに、森の中で会話する男女が映っているショット。テレビの映像が、映画の冒頭でフランソワとテレーズ夫妻が森で会話を交わしていたシーンを想起させる入れ子構造になっている。加えて、画面左側に開いた窓が見えることで、外の空気を画面に呼び込み、画面が「外」に開かれていることでもまた、冒頭の森のシーンを想起させられる。構図、色彩設計、物語の中でこのショットが占める位置づけなど、すべてが絶妙なバランスだ。こうした小品的な秀逸さを見せるショットは、本当に好きだ。

妻であるテレーズと、愛人であるエミリは、髪の色や顔立ちがよく似ている。このことが、フランソワがどちらも愛し、どちらも新鮮で、どちらも一緒にいて幸せだ、と言う台詞に複雑な陰影を与えている。はた目にもハッキリとした個性の違いが見えるのであれば、それぞれの女に別の魅力を感じているのだろうと観客側でも理解できるのだが、二人はよく似ているのだ。これは、フランソワにしか分からない微妙な違いを味わっているのか、それとも、彼が口に出して言っていた、愛人の方は妻とは対照的にセックスに積極的である、という一点以外、二人の女は交換可能な存在なのか、その辺が曖昧だ。そして、最後まで曖昧な謎のまま終わることが、この映画の恐ろしさでもある。

フランソワが二重生活を送りながらも表面的には何も起こらず、テレーズともエミリとも幸福に浸っている、そのあまりの平穏さが却って、徐々に不穏に感じられてくる。フランソワがテレーズに愛人の存在を告白してさえも平穏なのであり、その直後の、テレーズの突然の入水自殺の後にもすぐに平穏さが回復されるのがまた戦慄的。新たにフランソワの妻となったエミリは、彼や二人の子供たちと森に行く。そしてすんなりと新しい妻、母としての立場に収まってしまうのだ。四人が森にいる場面で、四人共に青色の入った服装をしている点にも、この恐ろしいまでに完璧に収まってしまった人間関係が表わされている。

エミリがフランソワの家でかいがいしく妻、母としての役目を果たしているシーンでは、彼女の手だけが映り、顔はフレームの外に隠されている。そこにも、交換可能である女の存在性が示されている。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)ひゅうちゃん ゑぎ[*] Orpheus ぽんしゅう[*] セント[*] けにろん[*]

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