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[コメント] 白い巨塔(1966/日)

患者の病巣と、医学界の病巣を巡るドラマの同時進行が、科学者としての立場と政治的立場との絡み合い、という一本のドラマをも成す。単なる権力闘争に留まらず、個々の医者としての価値観のぶつかりが、陰影を生む(だが肝心の財前と里見は紋切り型)。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







医学者としては、客観的な自然界を相手に頭脳を働かせ、権力闘争の渦中に於いては、人間の曖昧で不確定な思惑を相手に頭脳を働かせる、という二重の知的刺激を与えてくれるのが、この作品独特の魅力になっている。

財前は、前半は白衣を着て登場する場面が殆どなのだが、選挙に勝った後では病院内でも黒いスーツ姿ばかりであり、彼自身が病院内の黒い病巣と化したかのようだ。彼が再び白衣を着て現れるのは、自身の医療事故を巡る裁判に勝ち、権力者として、大名行列のような総回診を行なう場面で、だ。逆に里見は、スーツ姿で病院を後にする。白が、治療者の象徴から、権力者の完全性の象徴へと変じたこの光景の戦慄。

登場する医者たちはそれぞれ、富や名声や権力を得る手段として医療を利用するような、単純な悪党ではない。だが現に病院、医学界という社会の中で生きている彼らは、医者として立派にやっていく事と、自らの生きる閉鎖的社会(専門家の寄り合い所帯なのだから或る程度の閉鎖性は必然的)でのし上がる事とを区別できないし、その必要すら殆どの者は感じていない。それを峻別できると純粋に信じている里見も何か滑稽に見えてしまうのだが、この峻別という意識が皆無なまま、権力者としての威厳と、医学者としての権威の一致に何の疑念も抱いていない者たちの傲岸な姿もまたどこか滑稽なのだ。

この物語の恐ろしさは、この滑稽さが滑稽だと気づかれないまま平然と行われている事の恐ろしさだ。ラスト・シーンで、財前の総回診を告げる看護婦長(?)の甲高い声は、「○○様の、御成り」を告げる掛け声のような、権威に伴う様式性の滑稽さ故のグロテスクさを感じさせる。

グロテスク、といえば、ぬらぬらした臓物が体内から引き出される手術シーンを何度も見せられたせいで、すき焼が出てきた時にはウェッと思った(笑)。

(評価:★4)

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