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[コメント] イワン雷帝(第一部・第二部)(1946/露)

終盤のカラーも見事だが、モノクロ映像の、まるで銀細工のような完成度には、溜め息。キューブリックの『バリー・リンドン』のように、美術品として認定できる映像美。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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戦艦ポチョムキン』と共に、映画館で鑑賞。『ポチョムキン』と並んで『雷帝』もまた、その政治的な苦難も含めて(後述する、スターリンとの確執)、映画史上に永遠に記憶されるべき作品として評価されているのは周知の通り。『ポチョムキン』は細かいカット割りでテンポが良いが、『雷帝』は一つのシーン、シークェンスを、腰を据えてじっくりと見せる。重厚長大な劇としての貫禄が感じられる分、重苦しくて冗長な印象も無くはない。『ポチョ』のドキュメンタリー・タッチに対し、『雷帝』は演劇的。ヒソヒソ話の台詞でさえ、大きな声で朗々と話したり、一つ一つの大きな身ぶりなど、役者の演技は完全に舞台風。衣裳やセットも豪奢。また、舞台的だという点とも関係するけれど、『ポチョ』が固定したキャラクターに物語を委ねず、人々の群れの流れによって出来事を展開していたのに対し、『雷帝』は濃いキャラクターたちが密度の高い劇を展開する。

さて、この映画は、その時代的・政治的背景に関しても、常識として知っておくべき基礎知識がある。第一部は、貴族たちや異民族に分割されたロシアの統一を目指す専制君主の雄々しさを描いて、スターリンに称賛され、スターリン賞なるものを贈られたのに対し、第二部は、疑心暗鬼に苛まれる権力者の孤独を描き、スターリンの逆鱗に触れて上映禁止処分に。しかし、実際に第一部を観てみると、身近な者への猜疑心に駆られ、自信を無くし、自ら編制した親衛隊以外は全て敵と見なしていく孤独な権力者の姿を見せている。ただ、一応は、失意から甦る英雄、という構図を保っているので、スターリンも満足したのだろう。これが第二部になると、友を求めて得られない焦りと不安が、より冷徹に描かれていく。少年時代、青年時代は、美しく誇り高い貴公子だったイワンが、年を重ねるにつれ、狡猾で冷酷な権力者になり、黒衣に身を包んだ死神のような容貌になっていく様は凄みがある。

この第二部について、スターリンは、「親衛隊をKKKのような変質者の集まりのように描き、イワンをハムレットのような意志薄弱な人物に描いた」と言って非難している。しかし、親衛隊はスターリンが言うほど、大して悪者に描かれているわけではない。ただ、史実として、イワンが実際に、親衛隊と共に修道院を擬した生活を送っていた事を知らないと、終盤の黒衣の行列の意味が分からないかも知れないが。また、イワンの描写に関して言えば、むしろ、ハムレット的な人間らしい悩みから自らを解放する為に、鬼神のような鉄の心に覆われていく過程こそが主眼だと言える。現実に粛清に明け暮れていたスターリンにしてみれば、痛い所を突かれた気分だったのだろうか。

ロシア正教会よりも国家を上に置こうとするイワンの姿は、ソ連共産党の政策とも似ている。また彼は、「民衆の支持こそ国家の基盤」と繰り返し唱え、中央集権的な体制を築こうとする。この辺りに、スターリン及び党に対する、エイゼンシュタインの配慮を見るべきなのかも知れない。とは言え、終盤に向かうにつれてイワンは、伝統的な慣習を破壊した上、監視と強権だけで人々を束ねようとする傾向を強める。国家への献身を意味していた「偉大なるロシア帝国建設の為に!」という叫びが、独裁権力への渇望の声に変わってしまう様が、戦慄を誘う。

イワンは、実際にはこの映画で描かれていたような、単に権力抗争と陰謀の果てに変容した孤独な権力者というのみならず、異常な残虐さを持った人物だったらしい。祈祷と拷問という、相矛盾する行為で心の安らぎを得ていたという。そうした異常さは、妻のアナスタシアの死が影響したらしいが、妻の死に関する疑惑が冷酷さを目覚めさせていくという点は、映画でも描かれている。第三部は半分まで撮られていたというが、イワンの影の面が、どれだけ描かれる予定だったのだろうか。

最後にイワンが、自分の妻を毒殺した犯人であり、今度は自分を刺客に殺させようとしている叔母エフロシニアに復讐せんとし、その子ウラジミルに皇帝の正装を着せ、自分の代わりに刺客に刺殺させる場面。これは、純粋に人を信じるウラジミルのような、人間としての無垢さを自分の中から葬り去る行為であると共に、皇帝の正装=権威・伝統の神聖さをも、人間不信という黒い剣で殺害する事でもあったように思える。

第二部の終盤は、突如、何の前ぶれも無しにカラー映像に突入するが、これは、ソ連がドイツを占領した際、カラーフィルムの現像所を接収した事によるらしい。このカラー部分の色彩はかなり強烈で、ヴィスコンティ風の貴族趣味的な退廃美が醸し出されている。  もし最初からカラーで撮られていたら、豪華な美術をより活かせただろうに……、と残念な気もする。ただ、第一部の名場面、イワンの鋭角的な横顔のアップと、遠景に見える民衆の長い行進が、一つの枠に収まるショットの、強烈なコントラストは、モノクロの単純な色調が緊張感を高めているとも言え、なかなか難しい所。

なんでも、かのチャップリンはこの作品を、歴史を詩的に描いた作品として称賛していたとか。『独裁者』という作品もある彼にしてみれば、この映画の権力批判的な所にも、共感するものがあったのかも知れない。

(評価:★3)

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