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[コメント] 甘い生活(1960/伊=仏)

軽薄で空虚な騒ぎが延々と続くという、本来なら地獄のような約三時間の筈なのに、この退屈さが却って誘惑的でもある不思議。神の沈黙と、地上の空虚な騒乱の絵巻。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭の、キリスト像を吊るしたヘリが飛んでくる画は、神の神聖性を、その天上的な高さを保ったまま、ヘリという人為的なものの下に引きずりおろすという過激さで、初っ端から驚かせてくれる。ここでヘリに乗っているマルチェロは、建物の屋上から声をかけてくる美女たちの言っている事が、ヘリの騒音で聞こえない。この、騒音にかき消される声という構図は、ラストシーンで形を変えて反復されるわけだ。

聞こえない事、といえば、マルチェロの友人で、健全を絵に描いたような人物であるスタイナーが或る女性から言われる言葉が思い浮かぶ。曰く、「ゴシックの尖塔のように背が高すぎて、地上の声が聞こえないのね」。高潔で超然として見えた彼が、自身の子らと無理心中するという唐突さ。映画女優も奇跡も貴族も皆その堕落した姿を見せていたが、これをただ傍観し、ネタとして眺めていたマルチェロにも、スタイナーの最期は、一つの止めとなっただろう。教会でスタイナーと再会した時のマルチェロが、スタイナーの奏でるバッハの曲に、何か悲痛な表情を見せていたのが印象的だ。

スタイナーは、自然の音を収集していた。「録った時には美しいと思ったんだ」と言う彼。先の「ゴシックの尖塔」という、禁欲的で高潔なものに彼が喩えられる会話は、この自然音の上に重ねられている。自然音――、美しい筈の音は、騒音となる。ラストシーンでの、海の波の音=自然音にかき消される少女の声。ヘリや、女優が駆け上がっていた大聖堂、夜のサーチライトといったものが表象していた「高さ」はもはや消失し、マルチェロの視線の、水平な先、文字通りの地上の「彼岸」の声に、マルチェロは肩をすくめて別れを告げるしかない。

(評価:★3)

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