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[コメント] 真夜中のカーボーイ(1969/米)

ジョー(ジョン・ヴォイト)のカウボーイ姿に漂う、甘い哀愁と、何ものかの終焉。底辺の、いじましく黴臭いような生活感にも、どこか青春の甘い匂いがある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







少年期にジョーを甘やかしていたらしい祖母の回想シーン。彼の頬への、熱烈なキス。ジョーが年増女に金をせびるジゴロになろうとするのも、祖母に甘えて暮らしていた過去へ帰ろうとする願望の表れなのかとも思える。彼が粋がってみせてもどこか憎めないのは、この子供っぽさのせいだろう。カウボーイの格好も、祖母と仲の良かった男に倣ってのもの。

そして、自分に熱烈な愛情を注いでくれていた女が、車中で愛し合っていた最中に奪われ、眼前で辱められたトラウマ。落書きの残る、恋人との幸福の記念碑のようなタンクを車窓の外に眺めながらバスで去っていくジョーは、過去と決別し新しい人生を切り開こうとしているようだ。だがその実、トラウマからの不能感を、幼児期への回帰によって克服しようとしているのであり、言わば、後ろ向きに前進しようとしている。ジョーの愛すべきキャラクター性は、その乳臭さにあるのだ。

幼児期の刷り込みのせいで、カウボーイの格好でいれば年増女が寄ってくると思い込んでいる、井の中の蛙、ジョー。そんな彼にラッツォ(ダスティン・ホフマン)が言う「そんな格好でもてるのは、ゲイにだけだ」の一言は、ジョーが都会で取り戻そうとしていた「男らしさ」の美学に一撃を加える。そんなラッツォの、不自由な脚で歩く様子さえもがダンスのステップのように小粋に見える軽妙さが余計に、終盤で汗だくになって衰弱していく様を哀しくさせる。彼が小汚いマグカップで安っぽいスープを飲むシーンでは、その不味そうなスープが、実に美味そうにも見える。そうした底辺の生活感が、この映画を忘れ難いものにするのだろう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] Bunge

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