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[コメント] 天井桟敷の人々(1945/仏)

冒頭の幕開きで、街頭劇の観衆の後ろ姿から始まるこの映画、劇場の内と外を経回りつつの幻想とリアリズムの融合ぶりには魅せられるが、詩の一節か箴言か、と思える台詞が優雅に舞い踊る演劇調の完成された美しさが「映画」を抑圧している。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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エンディングでは、冒頭に現れていたような街の群衆たちの渦に呑まれて、愛する人と引き離されるバチストの、紙吹雪で頭を飾られながら喪失の哀しみだけに浸るさまが脳裏に焼きつけられる。こうした映画的な感激が台詞の洪水に流された観があるのがどうにも残念。

バチスト=ジャン・ルイ・バローの高質な美貌と、鋭くも優美な所作。更にはピエロに扮した時の、儚げで、哀しげで、浮遊的な、その表情。指先から足先までもが夢のように舞う美しさ!パントマイムという芸術がそのまま、月を攫もうとするような純粋すぎる恋心の暗喩ともなっているのが素晴らしい。彼の演技をもっと堪能させてほしかった。

尤も、バチストが妙に下世話な年増女のギャランスに惚れる展開にはもう一つ共感しきれない所があるのだけど、彼のような純粋かつ天才肌の芸術家が、ああした俗世間に塗れながらもどこか気高さを保つ強さを感じさせる女に惚れるのも、分からないことはないかな、と。

そんなパントマイム役者、即ち沈黙の芸術家を主役に据えた割にはこの映画、まるで沈黙恐怖症のように絶えず誰かが何かを喋り続け、よく出来た台詞で全てのシーンを埋め尽くそうとするのが息苦しい。フランス映画には、台詞の専門家(セナリスト)が付いていたらしく、この映画にも付いていたのかどうかは知らないが、登場人物が一々含蓄のある言葉を吐くのには感心させられると同時に、映像や演技よりも朗読を聞かされている印象の方が強くて少々うんざりさせられる。フレデリックの『オセロ』を観に来たモントレー伯爵の台詞に「台詞を聴くのではなく役者を見るとは」というのがあったが、つまり西欧の演劇は、台詞の比重が高いわけだ。シェイクスピアの向こうを張ったような名台詞を次々繰り出すこの映画の演劇調な脚本と演技が「映画」を抑圧している観がある。その辺が、悪い意味で「古典的」。

この『オセロ』の劇場でバチストとギャランスが再会する場面での、二人の顔を覆う影の美しさ。モントレー伯爵がラスネールに暗殺される場面での、ラスネールの従者のクローズアップと、挿し込まれる呻き声で事態を推察させる演出に於ける時間の流れ。こうした幾つかの個所で閃く「映画」を堪能する隙間が台詞の合間にもっとあれば良かったのだけど。また、伯爵に対して決闘(つまりは貴族の作法)をきっぱりと断り続けたラスネールが、フレデリックとの決闘を控えた伯爵の許を普通に訪問して暗殺する、その「正々堂々とした卑怯さ」とでもいった態度が妙に清々しかった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ぽんしゅう[*] モノリス砥石[*] junojuna[*] ina ゑぎ

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