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[コメント] フューリー(1978/米)

スローモーションによる緊迫感の持続や、素早いカッティングの鮮烈さ、程好く挿み込まれる箸休め的なユーモアなどは好ましいが、エイミー・アービングにはカーク・ダグラスと共に物語の軸を二分する程の求心力に欠ける。「接触」の映画。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ギリアン(エイミー・アービング)は、無意識に発動してしまう念力で他人を傷つけるのを恐れて、母の抱擁さえ拒むようになるが、自分に時折テレパシーを送っていたロビン(アンドリュー・スティーブンズ)の父親である、ピーター(カーク・ダグラス)には心を許す。一緒に乗った夜行バスに置き去りにされそうになった時には必死に追いかけて縋りつき、ロビンが幽閉された屋敷に忍び込もうとして敵方に見つかった際にも、塀の上からピーターが伸ばした手を掴む。

一方、ロビンは、冒頭での襲撃シーンで父が射殺されたと思い込んでいるのもあってか、固く心を閉ざしている。政府の秘密の機関に隔離されている彼が、外出許可を得て出かけた遊園地で偶然見かけたアラブ人を、父の敵のように感じて念力による攻撃を仕かける場面には、アメリカ人全体に潜む敵愾心や不信を仄めかしているようにも見えなくはない。

手を触れない、接触を拒む、という形で表れる孤独という点では、ギリアンもロビンも同様なのだが、ギリアンの場合は、触れた相手を傷つけ、血を流させるのを恐れてなのであり、反対にロビンは、手を触れずとも相手に血を流させる事が出来る、という、自ら接触を拒絶する姿勢なのだ。

終盤、ギリアンが近くに来たのを第六感で察知したロビンは、極度の人間不信のせいで「替わりの超能力者が来るから、自分は用済みになったんだ」と思い込む。そして、ベッドを共にしていた女、つまり「接触」していた相手を、念力で拷問する。先立つ場面で彼女は、上司であるチルドレス(ジョン・カサベテス)にロビンの事を尋ねられ、「私を満足させようとしてくれます」と答えていたし、一緒に出かけた遊園地で彼女に話しかけた男たちにロビンが嫉妬した事などからも、彼の執着心が窺える。その、最後の人間関係の糸を自ら断ち切ったという訳だ。

ロビンは女を宙に浮かせ、回転させて弄ぶ。遂には彼自身が闇の中で宙に浮き、何者からの接触をも拒絶するような状態に入る。部屋に入って来た父の顔を見ると、絶叫して飛びかかる。そのまま窓を突き破り、屋根から落ちそうな状態で父に手を握られるが、それさえ拒んで、墜落死するのだ。

ピーターも自ら身を投げてしまう。残されたギリアンは、翌朝、寝室に訪ねて来たチルドレスからの抱擁に素直に身を委ねる振りをして、彼を念力で殺す。こうして、徹底的な「接触」の不可能性を描いて、物語は終わる。

だが、どうにもこの物語に乗れないのは、ピーターとギリアンに物語の軸が分かれた事による、焦点のぶれ、間延びしたテンポが災いしての事だろう。ギリアン役のエイミー・アービングには、脇役としての魅力はあっても、映画の半分を担って観客を惹きつける程の求心力が感じられない。尤も、バスから駆け出してピーターを追い取り縋る場面などで見せた演技力には、申し分が無い。ロビンが単なる幼稚で我が侭な青年にしか見えない事の方が問題なのかも知れない。

研究施設からギリアンが脱走する場面での、俯いた姿勢で機械的にスープを掬う様子や、白いワンピースを棚引かせながら走る姿、長いスローモーションによって持続された、息を止めたような緊迫感の中で起る惨劇、また、屋敷に幽閉されたロビンとギリアンが、爪でガリガリと掻く仕種で交感し合う場面など、個々のシーンの鮮烈な印象は、さすがデ・パルマ。瞬間的な映像芸は素晴らしい。

(評価:★2)

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