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[コメント] 魂のジュリエッタ(1965/仏=伊)

祝祭的でカラフルな色彩が、ジュリエッタの魂に侵入する他者の多様さ、ひいてはジュリエッタの混乱を現出し、登場人物の顔が影に隠されるショットの頻出は、自他の境界が曖昧になり、自分の魂の声を見失いそうになるジュリエッタの暗中模索を表象する。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジュリエッタが二人の女中を手伝わせて身支度をしている冒頭シーン、ジュリエッタを捉えるカメラは後方や側面からのアングルをとり、彼女の顔は観客の目から巧みに隠されている。続く結婚記念日パーティのシーンでは、夫や、彼が連れてきた客人たちの顔が暗闇に隠されて見えない。お祝いのシーンにも拘らず、文字通り「暗い影」の侵入を感じさせる導入部。

夫と同衾しながらも、彼が眠る隣で独り本を読むジュリエッタ。夫が連れてきた闘牛士は詩を好む男で、夫からは感じ難くなっていた男の色香をジュリエッタに感じさせる。その一方、夫の浮気の調査結果を待ち、提出された結果に涙するジュリエッタ。目の前に新たな欲望の対象としての男を見出しながらも、夫の裏切りへの憤りが自らの欲望さえ閉ざしている観がある。

幻視と幻聴に捉われるジュリエッタ。夫の浮気相手の女もまた、探偵が撮影したフィルムや、電話の声という、メディアを介した間接的な接触に留まる。霊に懐疑的な或る友人は「この電波が飛び交っている時代に」と嗤うが、ジュリエッタの家のテレビは、夫の食事シーンでは食事の光景を映し、夫が去った後は失われた愛を想起させる、抱き合って踊る男女を映し出す。テレビを前に泣くジュリエッタ。独りになった家の中に出現した幻覚と対峙するジュリエッタ。

ラストカットは、家を出たジュリエッタが画面右方へ歩いていくショットだが、その先には樹々がある。樹は、庭でジュリエッタの知人たちに心理劇を指導していた女性が、上方と下方に自らの身を広げ伸ばすものとして、精神の象徴として語っていたものだ。ジュリエッタを奔放な快楽の道へ誘う隣人スージーが男を誘っていたのも樹の上。踊り子と駆け落ちした祖父は飛行機で上昇。一方、幼い日に殉教劇で聖女を演じたジュリエッタは、火刑シーンで吊り上げられるが、「幼い子に何をする」と憤った祖父によって引き下される。そして、殉教の聖女は、一度はスージーの誘いに乗りかけたジュリエッタを批難する幻覚として恐ろしい姿を見せる。反面、終盤の幻覚シーンでは、飛行機に乗った祖父が「お前のせいで降りられない」と言う。

ラストカットで樹の方へ向かったジュリエッタは、どのような形で自分の魂を上昇させるのか。彼女が歩みだす直前、魂のうちに聞こえた声にジュリエッタが「あなたは誰?」と問うても、声は「あなたの本当の友達よ。残っていてほしい?」とだけ答える。様々な他人たちの声に翻弄され続けたジュリエッタだが、最後に残った友は、彼女自身の魂の声に相違ない。思えば、映画のファーストカットは樹の葉越しにジュリエッタの家が見えてくるショットだった。上から下へ向かうベクトルで始まったこの映画は、魂の上昇を暗示する場所へとジュリエッタが独り歩んでいく、平行的な画で終わる。

ラストカットの印象は鮮烈だが、全篇通して、ショットはかなり緩いというか、甘いというか、引き締まっていない反面、奔放さ豊穣さを溢れさせるというには些か窮屈な場面が多い。様々な人物が犇いている画はジュリエッタの心象には合っているが、フッと空間を見せるようなショットでは、構図の緩さに萎えてしまう。意外に怖い幻覚シーンでも陽気なメロディを奏で続けるニーノ・ロータの音楽が妙なはまり方をしている点は面白い。

(評価:★3)

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