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[コメント] 化粧師(2001/日)

小三馬のアノ事情の必然性について⇒
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小三馬が、実は耳が聞こえないという件について。この設定に関しては、「主人公には或る秘密がある」という情報が予め入っていたので、多少意識して観ていたのだけど、映画が始まってからかなり早くに予測できてしまった。人が正面に立って口を開いて見せている時しか、小三馬の反応が無かったので。

で、この設定は何の為にあったのか。これは、彼と純江との関係を描く為の一つの仕掛けだったのかな、と思う。例えば、純江が小三馬に自分の想いを吐露する場面。そこでは、純江は小三馬が扱ぐ自転車の後ろに乗って彼に抱きついたまま想いを口にするのだけど、小三馬はそれを、自転車に付けたバック・ミラーで、純江の口の動きを目にする事で知る。つまり、あの告白は、小三馬に聞こえていないと思って純江が思わず発した、独白だったんじゃないのかな、と。尤も、純江がバック・ミラーに映っている事を知っていて喋ったのではないのかどうなのか、その辺は映像で確認しても曖昧なんですが。まぁ、それはともかくとして、小三馬の耳の事を純江が知っていたというのは、純江が彼の事を理解したいと思って、ずっと見つめ続けていた年月を想像させる。 加えて、耳が聞こえない事は、小三馬が常に相手と正面から向き合う、化粧師という職業を選んだ事とも相通ずる所が感じられる。そして、その小三馬の顔を見つめていたのは、ただ一人純江だけだった、と。

鉱毒によって聴覚を失っていた事は、最初の方の「この化粧品は体に毒だ」と芸者さんに注意する場面に繋がるし、家が貧乏なせいで治療が出来なかった、という話は、貧しい夫婦や親子、時子らが小三馬の化粧によって幸福になる場面に繋がる。公害にせよ貧富の差にせよ、それらは時代に押し寄せる欧化の波、合理化と功利主義の象徴。それによって虐げられる人々の側に立つ小三馬、という人物像がこの辺から見えてくる。思えば、基本的にこの映画の中の悪人は洋装をしていて、逆に善人は着物を着ているのが多い。

さてこの作品、椎名桔平がテレビドラマで主役を演じていた≪恋愛詐欺師≫に、かなり近いテイスト。このドラマは、毎回泣けたな・・。 この映画でも、結婚写真を撮りに来る若夫婦や、柴咲コウ演じる舞台女優、貧しい親子のエピソードは、かなり泣かせる。特に柴咲の話は、小三馬のメイク哲学が、最もよく表れている。ただ、貧乏親子の話のシメ方は、少しご都合主義が過ぎる気もするけれど。 反面、メインの登場人物である純江や時子の話は、かなりベタな印象で、いまひとつグッと来ない。ベタと言えば、全ての場面がベタと言えなくもないけど、非メインの場面として、さらっと簡潔に描かれると、却って印象深く感じられるものらしい。純江と時子は出番が多い方なのに、その分感情移入し易いかといえば、そうでもないのが、観ている自分自身でも、意外な観。

ただ、彼女たち二人の存在感はそれぞれ清々しく、その素朴な美しさが好印象。むしろ、化粧をしても、時子はそれほどハッとさせられる変化が無いし、純江の方は、本来の明るさや活発さが消えて、無機質で生気の無い顔になってしまっている。尤も、純江の方はむしろ演出的にはそれで成功なのかも知れない。好きでもない男に嫁いでいく、哀しい場面なんだから。 加えて、菅野美穂の演技には、やはり引き込まれる。ユーモアと、穏やかな優しさを感じさせる立ち居振る舞いの中に、時々挿み込まれる、透明感のある感情表現。純江の性格づけが一本調子にならず、さり気なく色々なニュアンスを見せているのが、かなり好感触だった。 しかし、田中邦衛はいつも通りの田中邦衛。この人、悪役なんかをやっても、かなり味のある人なんだけどな。最早≪北の国から≫のイメージは裏切れないのか。

大正浪漫の匂い立つ舞台の中、時代のしがらみや圧迫に耐える人間たち。化粧をするという事が、贅沢であった時代が舞台であるだけに、化粧という行為は一つの儀式、イニシエーションとしての神聖さを高めている。この緊張感から立ち上る、そこはかとないエロティシズム。 また、椎名桔平が男の色気を出しているのも、雰囲気作りに貢献している。彼の演技は、あまりあれこれと表情を作らないのに、自ずとその内面の感情が感じられる演技で、一見地味ながらも、かなり貴重な才能だと思う。化粧師という仕事が、まだ世の中から際物扱いされている時代背景もまた、彼の哀愁を強めると同時に、一種のアウトサイダーとしての妖しい香気をも放たせている。 そして、スクリーンに化粧を施したような、映像美。中でも印象的なのは、草原の深緑の中に、小三馬の手拭の鮮烈な赤が目に飛び込むシーン。このコントラストは見事。

(評価:★4)

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