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[コメント] ブラッド・ワーク(2002/米)

交換と接続。製作年を一瞬疑わせるような演出の古典的な安定性が、錆びれた風味を感じさせる。イーストウッドの引き締まった表情は、情念のドラマとしての躍動性よりも、研ぎ澄まされたドラマの持続を演出する。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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マッケイレブを演じるイーストウッドの、時間によって濾過されたような、安定した表情。それによって、個々の出来事の派手さは抑えられる半面、マッケイレブが発作を起こして引退した際に取り逃がしていた犯人が、時間を越えて再登場した際の衝撃性は、人生を半ば降りたという面持ちを見事に体現しているイーストウッドの演技があってこそのもの。筋の意外性にのみ依存したものではないし、第一、あまり意外な展開でもない。

バディの正体に気づいたマッケイレブが、バディのクルーザーの船室で彼と対峙する場面では、バディの背後に鏡がある。マッケイレブが最後にバディにとどめを刺す場面でも、横たわるバディに銃を向けながら、バディが傍に置かれた銃を手にして自分の方へ向けるのを待って、発砲している。つまり、互いに銃を向け合う、という鏡像関係が成立したのを見計らったようにして、腐れ縁を断ち切る訳だ。

バディは、自らの流した血に染まった水面から顔を出し、「命を救ってやったのに」と呟く。その彼の顔面を手で押さえつけ、血の海に沈め、彼にとって替わって画面にその顔が映るのが、グラシエラで、これをワンカットで見せるカメラワークによって、マッケイレブの心臓に関る呪われた因縁が滅ぼされた事を示している訳だ。マッケイレブに心臓を与えた、という絆で彼と結ばれているという点で、グラシエラはバディと相通じる所がある。だからこそ、彼女の手でバディが滅ぼされるショットが必然的に要請されるのだ。

振り返れば、バディがマッケイレブの隣りに、マッケイレブと同じくクルーザーで住み着いている、という事は、「海」という要素によって、マッケイレブがグラシエラ親子と海辺を歩く場面や、最後の対決の舞台が海上の船である事とも繋がってくる。海上という舞台装置は、居場所の不安定性や暫定性を演出する。この事は、水面の、光と影の揺らめく反射板、という視覚的な特性とも巧く結びついているようにも思える。不確定性と、その裏面としての、自らの思いでそこに留まっているのだという、心情の反映、選択性。

この、呪われたバディ・ムービーには、文字通りのバディ以外にも、「心臓」と「事件」を媒介として、各人各様の仕方でマッケイレブと一対一の関係を成す登場人物が幾人かいる。この彼らにマッケイレブが頼み事をする際に、何らかの交換条件、貸し借りの関係が示されている点にも注目したい。何しろ、臓器移植という、ドンパチとは正反対の意味に於ける「命のやりとり」が物語の軸なのだから。他者との関係は、常に何らかの「交換」によって成り立っているのだという事。

終始マッケイレブに非協力的で、毒舌を吐きまくるあの刑事が、最終的にはいちばんのバディに見えてしまう構図も面白い。グラシエラと同じくスペイン系であらしい彼は、ラスト・シーンで興奮のあまりスペイン語を吐いている。また、この刑事自身にも、部下の青年というバディが居て、この彼がマッケイレブに、控えめに協力的な態度を見せる様子は、上司である刑事の本音を代弁しているように見えもする。

また、もう一つの見所は、マッケイレブが、ショット内にさり気なく映り込んでいる箇所を、事件の手がかりとして目にとめる場面の多さ。監視カメラに映る犯人がウインクしていた事、彼が何かを言っている唇の動き、最初の被害者の遺した車に落ちていたドナーカード、等々。マッケイレブは、「繋がり」を求める男であり、だからこそ、一見すると単なる偶発的な強盗殺人に思える事件に、いち早く繋がりを見出す。その姿は、主観的な妄執と紙一重にも見える(記者のスニーカーを犯人と短絡してしまう場面など)。だが彼が繋がりを追うのは、犯罪を止める為であり、バディがマッケイレブとの繋がりを求めて犯罪を繰り返す事とは、正反対の事なのだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)赤い戦車[*]

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