★4 | ディア・ドクター(2009/日) | 余貴美子と井川遥が鶴瓶を追い詰める男性嫌悪が、最後の鶴瓶を死神のように解釈させる誤配に至っている。この話の技術志向が、劇中で自己言及されるように、事を自己決定権の問題ではなく医療過誤に見せてしまうからだ。 [review] | [投票(2)] |
★4 | 白昼の死角(1979/日) | キャスティングの違和感は、中尾彬の顔面が最後はモンタージュ写真へと解体されて事が瓦解することで報われている。千葉真一の便利さも筋のスポイルではなく下士官の忠誠として読み解かれる。 [review] | [投票] |
★4 | ア・ホーマンス(1986/日) | 寝袋や焚火といったガジェットから野宿者の徳を構成するミニマリズムが、回顧的に見れば80年代半ばという定義しにくい時代を無時間へと転用して、ノスタルジーを凌駕している。 | [投票(1)] |
★4 | ノロイ(2005/日) | メタボ特有の陽気な感じが事を悲劇にするはずがなく、喜劇に向かおうにも、恐怖を特定しその尺度を担うはずの霊能者が錯乱しているから、悲劇か喜劇かの舵取りに能わない。結果、中盤以降、アンサンブル・キャストが互いに進行を打ち消し合う停滞に見舞われ、 [review] | [投票] |
★4 | 天城越え(1983/日) | 人権侵害を捌口にして、渡瀬恒彦にアドレナリンは、抑えるために誇張する老け演技の矛盾へと解き放たれる。 [review] | [投票(1)] |
★3 | さらば箱舟(1982/日) | 発情持続症というべき無感動への憎悪が軽演劇を連ねるうちに笑いという無感動を偶に掘り当ててしまう。これはまぐれではなくて稽古量が即興という印象を与えないのである。 | [投票] |
★4 | 月はどっちに出ている(1993/日) | 絵沢萠子との絡みでは、現金仕送りの件がそうであるように、善と生活力の優れた例化が観測できる。他人の悲劇に基づく喚情には節度があって、それが内藤陳の好ましい機能的色彩と呼応する。 [review] | [投票] |
★4 | キングダム(2019/日) | フレームに寄られるたびに長澤まさみの姉御顔が春秋戦国を足立区へ変貌させる。コスチュームプレイに羞恥を覚えるどころか、むしろ水を得たように大沢たかおはナルシシズムの光耀に満たされる。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 風花(2000/日) | 器質性に基づく苦悶を精神論でアプローチしようとするパターナリズムはどうなのか。小泉今日子の、顔貌とアニメ声のミスマッチが究極的には女難として徴表されることで作者の自意識が明らかになるが、事件に応じて浅野忠信の人柄が一定しなくなるのも事実で、 [review] | [投票(1)] |
★4 | スローなブギにしてくれ(1981/日) | ナルシシズムを散らすための客観視のツールとして喜劇を用いるならばオッサンの邪念はむしろ加速するはずだ。そうではなく、伊丹十三の怪演を分水嶺にして、むしろこのハーレムが喜劇の必然性の根拠となる。 | [投票] |
★4 | 明治侠客伝 三代目襲名(1965/日) | 鶴田浩二のスケベが筋に組み込まれるように、出来事を構造に織り込む力は彼を津川雅彦の物語の傍観者にしておかない。軟体のように伸びる鶴田の鼻の下は、丹波哲郎の棒読みに繰り込まれるまま、任侠映画という構造そのものに達する。 [review] | [投票(1)] |
★4 | 白いリボン(2009/独=オーストリア=仏=伊) | 悲劇を喜劇の間合いで同定するスノビズムを牧師クラウスナーのヒール化が克服する。なぜ悲劇が楽しいのか。物語は懲悪という娯楽の実践へ送り返されたのである。 | [投票] |
★4 | ベルリンファイル(2013/韓国) | チョン・ジヒョンの薄幸力がベルリンを神田川三畳一間の情調へ落とし込む。ベルリンで事をやる意味がない以上、窮乏が三畳一間へ空間を改編して舞台の必然性を調達する。その編成の媒質としての、リュ・スンボムの西村ひろゆき顔の明るき寄る辺なさ。 | [投票(1)] |
★3 | エスケープ・フロム・L.A.(1996/米) | 役者根性を試しにかかるこのコスチューム劇はラッセルをナルシシズムに憩わせない。劇中で幾度も自己言及される彼の体のバランスの悪さは、ルームランナー、グライダー、津波を通じて罰ゲームのように絶えず実体化される。 [review] | [投票(2)] |
★3 | ミッドウェイ(2019/米=中国=香港=カナダ) | エド・スクラインの顔面映画である。エメリッヒ作品の湿ったセクシャリティを濃縮したようなあの顔が、極彩色の海原上をスペルマの飛沫の如く飛び交う曳光弾をかいくぐり、トヨエツ&浅野の二大ネオモンゴロイド顔と交錯。國村隼を大いに困惑させる淫猥さ | [投票(1)] |
★4 | セント・オブ・ウーマン 夢の香り(1992/米) | 長期的な利益を鑑みても答えは明らかでありパチーノが師父をやる余地はなく、自殺幇助を強制する迷惑な話にとどまっている。パチーノの哀れに注力しても中盤のタンゴがピークアウトになる。 [review] | [投票] |
★4 | ナイト・オン・ザ・プラネット(1991/米) | 人の発見に長けたこの密室劇は、ベニーニのサイコ性をも的確に抽出せざるを得ない。前半の人情噺はこれでぶち壊しになるも、諦観に安住する趣味の悪いヘルシンキの結末にサイコの物的な迫力が何かしらの感慨をもたらしていると思う。 | [投票(1)] |
★3 | 輪廻(2005/日) | キャストの骨相がここまで多様なのは珍しく、しかもそれは演出の不在ではない。椎名桔平の行き場のないナルシシズムが美女に転生するオッサンたちという邪念によって換喩されるアクロバットなのである。 [review] | [投票] |
★4 | マスク(1994/米) | 元々奇人のジム・キャリーである。マスクを被る意味はないのだが、筋をコメディの文法に依存しないことで、話は安心できる正調のクライムムービーとなっている。 [review] | [投票] |
★4 | 対馬丸 −さようなら沖縄−(1982/日) | 磯野家をミサイルが直撃するのはこの手のジャンルとしては常套としても、順序がおかしいから本当にいきなり直撃してしまう。直撃後の漂流の尺が長い。それがおかしいのである。 [review] | [投票(1)] |