コメンテータ
ランキング
HELP

disjunctiveさんのコメント: 更新順

★4ブレードランナー 2049(2017/米=英=カナダ)80年代コテコテ美術を景物映画の高雅な文体で模倣しようとする気の狂った開き直りである。あるべき什器の質感を求める彷徨は記憶をめぐるそれと重なり、悲劇的な気分を高める。 [review][投票(3)]
★3関ヶ原(2017/日)共感の足掛かりとなるには三成の動機が具体性を欠いている。小早川秀秋の、義理立てができなかった後ろめたさの方がよほど実感が籠っていて、生物としての不甲斐なさを訴える。 [review][投票(1)]
★4フライト・ゲーム(2014/米=英=仏=カナダ)孤立が解消され、ネタが割れて通俗化しても、人の評価が変わったといううれしさは残り続ける。 [review][投票(2)]
★3IT/イット “それ”が見えたら、終わり。(2017/米)事が恐怖への叛逆となることで、履行されない正義への憤りと不可解への憎悪を包摂するような普遍の感情が表れる。スクールカーストも怪奇も同根であり、ソフィア・リリスの垢抜けのなさがこの手の社会的抗議の果敢な担体という類型を盛り上げる。 [review][投票(1)]
★3パターソン(2016/米)アダム・ドライバーの如何にも暗黒面なタイプキャストの不穏で盛り上げるイヤらしさをファラハニが救っている。彼女の痛ましい天然さがカップケーキという生活力に拡張され、好ましさに変わることで。 [review][投票(4)]
★3大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院(2005/仏=スイス=独)古典芸能のようなモンタージュを想定していない代物を、放映するにあたってカットで割ってしまう。わたしはこれが苦手で、カットを割り振る演出家の恣意に苛立つのである。解釈を押しつけられた心地がしてしまう。 [review][投票(1)]
★3アトミック・ブロンド(2017/米)肉弾戦のパワーバランスがあくまで女権を損なわない範囲で追及されるリアリズムの微細さに、巨大な体躯の女という両性具有なあり方の困難が分泌してくる。しかしより克明なのは、それに相対せねばならくなった男たちの困惑なのだ。[投票]
★4Mの物語(2003/仏=伊)ベアールがアレにしては彼女の視点に没入できるイレギュラーである。アレであることが事を現世化して専業主婦の孤独と混線してしまう。 [review][投票]
★4Dr.Tと女たち(2000/独=米)顔貌が性欲の表象でしかないことで、性欲では対応できない事態がリチャード・ギアを不穏の源とする。その助平顔が助平顔でありながら仕事ができる然るべき場所に到達するところで、宿命を見失ったファラ・フォーセットの不安と男の不穏がリンクする。 [review][投票(1)]
★4ファニーとアレクサンデル(1982/独=仏=スウェーデン)初出のハスラー演技から始まって、人前で権威を損なわれる事態に当たって体面を繕おうとする悲痛な努力に至るまで、主教ヤン・マルムシェーが笑いを絶やさない。その性格の様式性の突出が絶えず筋を喜劇のような歩調にしようとする。 [review][投票(1)]
★3皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(2015/伊)フィクションが感化を与えてほしいとする業界人の強迫観念は、フィクションの効用を期待できない不信の裏返しである。劇中劇に内実がなければないほど、そこに内実があると思わせるべく、感化だけは強大になっていく。 [review][投票(1)]
★413/ザメッティ(2005/仏=グルジア)プロのオッサンらとの対比が、アマチュアの若者を貶めるのではなく、彼らの手練れが事に屠殺場のような機械的特性を与えることで、若者に当事者であることの誉れがもたらされる。 [review][投票]
★3チェ 39歳 別れの手紙(2008/米=仏=スペイン)群生する体毛の中心にデル・トロの顔が合成され鎮座している。われわれは、デル・トロという内面を展開しない顔貌の究極体であるこの不気味の谷との対峙を迫られながら、最後には内面不明な人物の視点に内包されてしまう不快な美的体験を被る。[投票]
★3チェ 28歳の革命(2008/米=仏=スペイン)そもそもが、どこから見てもデル・トロにしかならない代物を史劇の枠にはめ込もうという憤飯なのであり、ラテン気質との邂逅に際してデル・トロに世話焼き女房をやらせる違和感が持続する。 [review][投票(1)]
★3ベイビー・ドライバー(2017/米)そのままでは直視できそうもない文系の自己肥大むき出しの陳述を消費可能なロマンスにするのはアヴァンチュールに身を任せるかのような女性心理である。 [review][投票(1)]
★3ファーナス 訣別の朝(2013/米)ウディ・ハレルソンにケイシー・アフレックをぶつけてやろうという実験精神らしきものが、憎悪を誘ってやまない二人をその相互作用を通じて理解の射程に収める。 [review][投票(1)]
★4悪魔を見た(2010/韓国)キャラクターの力関係に応じて彼らの内面を開閉させる方策にここまで頓着しない作風も珍しい。結果、人々は常人とサイコパスの境界を激しく往来し、一貫した性格を失う。恩讐を超えるという課題が人格の脱落とセットで考えられているからだ。 [review][投票(2)]
★3絹の靴下(1957/米)アステアのステップを冷ややかに眺めるシドの半目がミュージカルを恥ずかしくする。ツンツンしながらもアステアのダンスに応対してしまう恥辱プレイへと恥が逆流することで、ミュージカルの根源的な恥ずかしさが正当性を得るのである。 [review][投票]
★4足ながおじさん(1955/米)中盤のダンスパーティーが、抑圧されてきた変態機動を高慢な恋敵の目前で開陳させることで途方もない浄化をもたらせば、後半のレスリー・キャロンの妄想癖が締め木のようにすれ違いストレスを搾り出す。浄化の溜めとなる抑圧作りに成功している。[投票(1)]
★3フェリーニのローマ(1972/伊)群衆統制の芸術としての映画に自ずと含まれてしまうバタ臭い風刺が、高度の凝縮された対象を前にしてそれを受容すべく統制が苛烈になった時、映画を可能にしている技術的基盤に引きずられるように薄められ、何か無垢なものが抽出される。[投票]