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disjunctiveさんのコメント: 更新順

★4ブラック・クランズマン(2018/米)バーレスクの叙法が、類型にとどめられるKKK関係者にかえって造形的強度を与え、良識的な警官たちを絵空事に見せてしまう。作者の資質が図らずも野放図に共鳴するのはバーホーベン的である。 [review][投票]
★4さくらん(2007/日)少女の口や食べ方は汚いが、姿勢を崩すことはない。そこまでやると映画にならない。金魚鉢として自己言及されるこの緩やかさは、色彩という静物で動物を圧する以外に語る術を持たない映画の叫びであるがゆえに、悲恋にも構造的な弛みを及ぼしてしまう。 [review][投票]
★3バジュランギおじさんと、小さな迷子(2015/インド)事件の端緒となり大人たちに災厄をもたらすのは、ルッキズムにスポイルされた幼女の乱脈である。しかし生存戦略に忠実な媚びは大人たちを腑抜けにして行政を恣意的に運営させる。これは二重のマッチポンプである。 [review][投票]
★4フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(2017/米)ウィレム・デフォーの徳と手際のよさが彼の境遇をミスマッチに見せる謎に呼応して、その機知は、不幸に対処すべく発動するために、災難の予兆と化す。このつらみは淘汰圧が男にもたらした栄光でもある。肉体という売り物が、母から生活力を奪い続けるからだ[投票]
★3人斬り(1969/日)演技観が芝居を支配するのではなく、役者の肉体の個性に引っ張られるままに、勝新と裕次郎と仲代がそれぞれジャンルの違う芝居をやっている。文字面では会話が成立しても絵面がホンを裏切り続ける。肉体に介入を試みる文意は肉体に拒まれる。 [review][投票]
★4実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2007/日)永田洋子に代表される女性のサディズムがノリノリに抽出されるほど、森恒夫が棒演説に陥没し、原田芳雄の飄々としたナレーションとともに、総括から理由を奪ってしまう。殺戮の動機を追及しないのならイデオロギーは脱臭され、事は病理論に落ち着く [review][投票(2)]
★4秘密の森の、その向こう(2021/仏)基本は生霊でしかなく実体に会えばそれまでである。補助線としての死者との再会には深入りしない。帰ってくると生霊の本体が死者に見えてしまうのは、祖母の補助線が効いている。 [review][投票(2)]
★4犯罪都市 THE ROUNDUP(2022/韓国)脅威を適切に判定できない無能力が憎悪を駆り立てながらも、男には無謀に走らずにはいられない暗い情熱に自覚があり、その受動性が先に電話を切られる嘆きとなる。 [review][投票]
★4去年マリエンバートで(1961/仏=伊)状況に媚態で反応してしまう女。ガンギマリで暇をつぶす男たち。景物と絡むと下世話にしかならないカメラの挙動と大仰な劇伴は、下世話であるからこそ、女の科を捕捉してしまうと鷹揚と笑いを互換させる。[投票]
★3特急にっぽん(1961/日)セットを構築して人間をそこに放り込めば、動線が勝手に筋を動かすはずだ。時の隔たりが人間を理解不能にしても、美術という物証は裏切らないからである。 [review][投票(1)]
★4ジョン・ウィック:パラベラム(2019/米)下僚の鬱屈に同期しないと成り立たたない話だから、すべてはエイジア・ケイト・ディロンの挑発的な芝居にかかっているし、またそれに成功している。が、キャリア女性への加虐による倫理コードの抵触を恐れるために、遣り口が回りくどくなる。 [review][投票]
★3ブラッド・ウェポン(2012/香港)無法の自由を謳歌する行政不信は、自由だからこそ対処療法に促されるまま、目的もなくクアラルンプールの街頭を荒らし回る。公園の沈んだ水底を漂う無意識の流れが人を操るのである。[投票]
★4ビースト・ストーカー/証人(2008/香港)ニコラス・ツェーが真空のように災厄を引き寄せていく偶然の過剰は情実社会の密度を反映しているのだが、不幸の集中に比例して事態は逆に放散し先が見えなくなる。ニック・チョン宅の構造がわからないまま、夫婦の話が進行するように。 [review][投票]
★4コンシェンス 裏切りの炎(2010/香港=中国)レオン・ライの顎髭とリッチー・レンの膨張頭髪が互いを引き寄せ合うオッサン連星の公転運動。子犬のようにレオンを慕うミシェル・イェのアイドル性と汚らしいオッサンらの間で鼻の下が伸縮を繰り返す。 [review][投票(1)]
★4機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(2020/日)天然の妖婦が男を煙に巻こうにも男の方も天然で妖婦物が成立しない。多動な人間観に基づいて進行する会話は10秒を越えて同じ話題を扱えず、意思の疎通は偶然の産物にすぎなくなる。目前で大破するガウマン機への悲嘆がギギへの性欲へ混線・援用されるように。 [review][投票(2)]
★4河内カルメン(1966/日)野川由美子の天然を生活力へ置換する際、淡白が愛の信憑性と矛盾する課題が対生成される。男たちは引き際のよさで女の好意を恣にするが、あくまで引いてしまうのである。これに対応して佐野浅夫は別れの演技で恋心を本物にする。 [review][投票]
★4シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021/日)第3村の教条劇が綾波を哀れに見せる手口に初号機搭乗前に勃発する昼メロ。昭和の感性はオッサンらの実験演劇をキモがらせる自意識に掣肘されながら、発達障害に根性論で対応しようとする。そして宇部の大俯瞰に決算される昭和の感性に長い青春の終焉がリンクする。[投票(2)]
★3夢二(1991/日)原田と玉三郎に演技を矯正されても、キャピキャピする大楠に悲鳴を上げてしまう沢田。彼の躁は観測の権利を巡る闘争に起因するのだが、この舞台調では観測が原理的に困難である。効いてくるのは原田が体を張って作った沢田不在の時間だ。[投票]
★4最後の決闘裁判(2021/米)野人とインテリの対比が機能しない。事態を招いたのは野人の無能力でもインテリの機智でもなく、単なる性欲への敗北である。見解に矛盾がないので羅生門効果も成立していない。総じて軽い芝居のなか、野人と性欲文系の狭間でウンザリするベンアフが [review][投票(1)]
★4近松物語(1954/日)媚びに応じない長谷川一夫の中性性と女難を察せない無能力への苛立ちは、女難に気がついて逃れようとするあの俯瞰の坂道をスリラーの文法で捕捉する。男が逃れられないと悟ったとき、中性的鈍麻は性欲の猪突猛進にすり替わり破滅願望という文芸的帰結に至る[投票]