★4 | ヴァイブレータ(2003/日) | 顔だけを見ていれば、寺島の乱脈に大森は引いている。実際は彼の表情は感情に対応していない。能面のように受け手の心象を反映するにすぎない。 [review] | [投票(3)] |
★4 | のぼる小寺さん(2020/日) | 工藤遥は個人主義のイデオローグであり、周囲が感化を受けて奮起するのは機序が少々怪しい。工藤自身は自分が頑張っているとは思わないから、終盤のユースは盛り上がらない。前段階たる卓球とネイルや工藤の個人主義を翻案する部活の先輩らに喚起の力がある。 | [投票(3)] |
★4 | 37セカンズ(2019/日=米) | 紙媒体になぜこだわったのか。同人サイトを経由するのが普通だろう。雑誌がイベントの起点になるから前提の弱さが以降の尤もらしさを損なう。またヒロインには才能も度胸もあり最初から完成されている。自分の中には課題がないから自分探しは外へ向かう。 [review] | [投票(3)] |
★4 | 佐々木、イン、マイマイン(2020/日) | 佐々木が芸の肥やしにされた。この印象は視点整理の失敗に起因すると思う。佐々木が独りだけの場面が方々にあり、彼の内面が暴露している。これは話の趣意からすれば叙述エラーだろう。被害者面の競い合いになりかねないからだ。 [review] | [投票(3)] |
★4 | ギャングース(2018/日) | 話がでかくなると序盤のタタキの精度を維持できなくなり、半グレの三下の情態を細密に叙述する演出家の資質は、階層を上るにつれて人物の細部を取りこぼし、マクロスケールの敵を見失う。が... [review] | [投票(3)] |
★4 | リンダ リンダ リンダ(2005/日) | 青春の最大瞬間風速がゼロ年代の景物の中に呈示されるノスタルジーの混線。どこにもないこの世界の異様な文化的集積度が筋を郷愁の呪いから解放する。序盤で軽音部の部室として具現したそれは、前座の喜劇のような歌唱力へと飛躍し体育館を異空間とする。
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★4 | 冷たい熱帯魚(2010/日) | 人間解体の徒労感が、頑張りには内容が問われないと訴える。オスの成長という強迫観念にとって、内容や結果が問われないことは救いになるはずだが、一人前になった男が内容のなさに憑依されることで、物語は無内容を非難する。ところが、 [review] | [投票(3)] |
★4 | 女と男の観覧車(2017/米) | 場末が場末になりきれない極彩色の地獄が歪ませる空間感覚。緊張の幕間に火遊びをして釣りをやるオフビートで歪む時間感覚。時空からの疎外された人間の荒廃した境遇を作者は観察するだけだが、詠嘆が叙景で代替されるに及んで視点だけは50年代時空を回収。 | [投票(3)] |
★4 | 翔んだカップル(1980/日) | 同棲が終わっただけでは失恋にならない。裏切りから抽出された哀感が流用されて失恋の強烈な愁訴をもたらすのである。 [review] | [投票(3)] |
★4 | ションベン・ライダー(1983/日) | おそらく映像の文法と脚本にズレがある。台詞と挙措の長さがリンクしない。会話が終わっても挙措が完了せず無意味な間が出来かねない。間を持たせるために、つまり台詞と身振りを逢着させるべく、役者はキートン的スタントに没入する。 [review] | [投票(3)] |
★4 | へレディタリー 継承(2018/米) | トニ・コレットの被害妄想と思わせるから、降霊会以降、とつぜんオカルトが始まると格調が消失し、コリン・ステットソンの劇伴の物々しさも手伝い面白家族逆噴射というべき滑稽劇へ。 [review] | [投票(3)] |
★4 | さびしんぼう(1985/日) | 尾美としのり一派のコメディーリリーフが本編を侵食する恐ろしい冗長。藤田弓子が前触れなく焦点となるあまりにもカジュアルな近親相姦。これらの禍々しさが女子高生モードの富田靖子を引き立てるとき、可愛さという痛切が時間と関連することを知らされる。 [review] | [投票(3)] |
★4 | 空母いぶき(2019/日) | 本田翼の場違にも程がある媚態が西島秀俊の英雄劇の一環を構成するどころか西島の操を試すような修辞的暴走となり、社会時評を装う本筋が訴えるのは抗事実的な叙事と主題である。 [review] | [投票(3)] |
★4 | GONIN(1995/日) | 線条的な叙法に終始する本木雅弘の身体は初期北野というノンリニアな叙法とクロスオーバーしない。にもかかわらず、なぜ本木と北野という組み合わせなのか。 [review] | [投票(3)] |
★4 | 異人たちとの夏(1988/日) | 鶴太郎の、威勢だけがよい甲斐性無しの類型の生々しさが、仮象の実感という幽霊譚の条件をクリアさせるにとどまらない。彼の虚勢が秋吉久美子を潜在的に落胆させることで、彼女と風間杜夫の絡みにオイディプスのような不穏を醸成している。
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★4 | マンチェスター・バイ・ザ・シー(2016/米) | またしてもミシェル・ウィリアムズのタヌキ顔の蠱惑が文系を破壊したとあっては、タイプキャストにも程があり、俯瞰視が生じると事態は喜劇となる。しかしミシェルに破壊されたいことには変わりがない。ではどうするか。
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★4 | 血と骨(2004/日) | 野蛮なのではなくその逆で、才能を辺土が収容しきれず、そのかけ違いは異常な戦闘力を主人公補正と思わせてしまう。しかし老齢期に達して喜劇と紛う如き扮装になると、演者当人の本来もっている性質に役柄が収斂され、例えようのない文明と気品が出てくる。 [review] | [投票(3)] |
★4 | アリー/スター誕生(2018/米) | 人の踏み台になる宿命をいかにしてリラックスして受け入れるか。その踏み台の象徴を担うのが運転手のオッサンらであるが、初めて踏み台となったクーパーの悲愴な反応が実は誰もリラックスなどしていなかった結論を引き出して庶民賛歌となる。 | [投票(3)] |
★4 | 1987、ある闘いの真実(2017/韓国) | 既に見えいている勝敗が、どこまで平静を保てるか、キム・ユンソクの根性を試しにかかるのだが、そこにキム・テリの80年代ノスタルジー爆発のアイドル映画が闖入して、何の映画なのかわからなくなる。 [review] | [投票(3)] |
★4 | 女神の見えざる手(2016/仏=米) | 社会時評にしてはキャスティングが遊び過ぎるという場違いな感じから、マーク・ストロングのアイドル映画と言うべき蠱惑が生じるのだが、社会時評がサスペンスに下駄を履かせる手段だと判明してはその蠱惑が無効になる。 [review] | [投票(3)] |