★4 | 冬の猿(1962/仏) | 寛解を日常への埋没と解釈することで、アルコール依存症を文芸化するのは、ひとつのアイデアだろう。ただのオッサンの痴態をエスカレーションさせることで、興行性を担わせる手管にも感心した。 | [投票] |
★4 | 殺しが静かにやって来る(1968/仏=伊) | 段取りの瓦解には、すべてが無駄に終わったという、消尽の感傷がある。あるいは、段取りによって生じた感傷の数々は何だったのかという、感情の信憑性の喪失がある。それが失われると、話は観測に価しなくなる。しかし、最後まで担保される論理性もある。 [review] | [投票] |
★4 | 接吻 Seppun(2006/日) | 疎外が偏執狂を産出する機制と疎外の余地を与えるとは思えない偏執狂の充足感との対立からもたらされる感情の永久機関の闇は、しかし、病理学を信頼するあまり、それを聖化するほど明るいオプティミズムにも見える。 | [投票] |
★4 | 利休(1988/日) | オッサンハーレムの神秘化は、男の内面に踏み込みたい俗化の視点によって挫折している。釣りバカ日誌の、呪いのような強制力と対峙した一方の男は、架空の自意識を露呈させ自分自身を眩惑せざるを得なくなる。 | [投票] |
★4 | スリ(2008/香港) | 無業のオッサンという不妊の労働カーストは、種内托卵という同じ夢を見る。これは非対称の消耗戦ではなかった。人生に意味があったのだから。 | [投票] |
★4 | ビデオドローム(1983/カナダ) | 生体に実装されたたったひとりの街角世界戦争は、役割から生じる義侠心を当てにしない。男に託された生暖かな包括代理権は、むしろ孤立の知覚の方へ身を寄せるように思う。 | [投票] |
★4 | グッバイ、レーニン!(2003/独) | 福祉社会のビジョンが映像業界最末端に託されるという離心性は、含羞ではなく偶然であると措定されねば成り立たないだろう。自分のブライダルビデオが世界を救うと知った男は、その虚構性ゆえに、もっとも真実に近づくのだから。 | [投票] |
★4 | 予言(2004/日) | 気勢を添わない決断が、取り返しのつかないことをしたという自惚れを許さないのだが、決断をしたという実感に欠けつづけるため、残酷なる時間の轟きというよりも、確実なことは唐突にしかできないという教訓的な諸観念の方に話が傾斜している印象がある。 | [投票] |
★4 | コーラスライン(1985/米) | 作劇の必要上から、情実を資源にして感情を訴求する権利と技量を誤接続していて、しかもそこに自覚的であるがゆえに、作劇の政治学に身を売ってしまったという背徳感が見受けられる。若者たちにはその揺り戻しに翻弄されている感がある。 | [投票] |
★4 | 酒とバラの日々(1962/米) | 執着と節度が境をなくす界面において、人間は素面でありながら意識を失うという恵み深いアトラクションを体験する。アルコールに泰然として身を任せた興行は、公共広告機構の君臨する宇宙を安らかなるものにしてくれる。 | [投票] |
★4 | 追いつめられて(1987/米) | 儀礼的に持ちこたえていたハックマンの庶民性が運命に逆行しようとするとき、あるいは、われわれの加担するゲームが庶民の名のない実践に帰着するとき、庶民主義が詩意を以て人の美しさを語っている。それをここではよろこびたい。 | [投票] |
★4 | ミニミニ大作戦(1969/英) | 好意が罰せられるという平和への希求が、作劇のラテン的好意に何か針で刺すような苦痛を伴わせるような気が。 | [投票] |
★4 | プラダを着た悪魔(2006/米) | やりがい搾取を穏当に肯んずるため、心の痛みを受容する力は豊かさを増す。それを女の万能感だと錯視させるほどに。自我を託すべきわれわれの面影が、運転手という神の見えざる身体にまで、圧搾されるほどに。 | [投票] |
★4 | 暗殺の森(1970/伊=仏=独) | 即席ではないと発動しない政治的シニシズムは、セクハラの概念がないという架空戦記性の偶然に身を託した。その一方で、偶然を排したい作劇の欲望は、モラルの展望に欠ける世界に清らかな思い出がもたらされる時を待ち続けている。 | [投票] |
★4 | 特攻サンダーボルト作戦(1977/米) | すでに未来が知られている倒叙において、未来が先行するからこそ、物語の現実がそこに追いつかないという苦しみが生じている。ブロンソンはすでに放たれた。しかしその力を開放すべきか、政策判断の均衡するタイミングは遅延し続ける。えらい。
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★4 | トラック野郎・男一匹桃次郎(1977/日) | 『EUREKA』や『黄泉がえり』なみに気の狂った九州の地理感覚にも臆せず、文太は知的縮退と漂流の物語をあきらめようとしない。意気地という爆走する自我が、脱線形的な風景の断面に沿って折りたたまれたマドンナの自意識の痕跡を発見するのだ。 | [投票] |
★4 | 三月のライオン(1991/日) | 動機の童心的な(=イヤらしい)観察と四囲の景物の几帳面な専制との裂溝は政治的なオプションであるが、結果として、景物に対する小心さが、風俗観察を時の風化から保護しているようにも見える。 | [投票] |
★4 | ベティ・ブルー/愛と激情の日々(1986/仏) | 遊牧生活の最後の戦いを痛惜するのではなく、神経疾患を演じるという理性を発見し、人間という幾何学的様相の完成に安堵してしまうのである。ダルのアレは演技でなく地だらう、というドン引きが俗世の知見に癒されてゆく。 | [投票] |
★4 | アモーレス・ペロス(2000/メキシコ) | 勧善懲悪も経営シミュレーションも良俗の指令なのだが、これが愛すべき誤謬に襲われ阻却されると、風儀の口やかましさという一人称的表出だけが残存してしまうと思う。
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★4 | インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994/米) | 啓蒙的性格の観察は、未来傾斜への福々しい信頼の実効まで、普遍性ゆえの無時間で抑圧をかける。運動表象が物語に現れた好ましさとは何か。われわれはそこで時を想起している。 | [投票] |