コメンテータ
ランキング
HELP

disjunctiveさんのコメント: 投票数順

★4娘・妻・母(1960/日)ホームムービーで高峰を虐使するのは序の口で、それを嘲笑する形で原の人格を貶めるねちっこい私憤(=小津しね)。笠智衆の虐待を美談としてしまうラストに至り、私憤が人類不信を超えてしまうのも、感動しつつ混乱。[投票(1)]
★4SP 革命篇(2011/日)このまごうことなき堤のアイドル映画にあっては、香川の小物感がやはり不協和音。ところが、堤を制止すべく立ち上がった彼にフレームが寄った時、われわれはその余りの小物臭にかえって衝撃を受けてしまう。香川という造形的悲劇が世界の底に穴を開けたのだ。[投票(1)]
★3懺悔(1984/グルジア=露)凡庸こそファナティックというのも、むべなるかなとは思うが、その路線からすると市長を虐待する話にしか見えなくなってしまって、どうも自分にはこのATG映画が苦手だ。[投票(1)]
★4太陽に灼かれて(1994/仏=露)表徴と兆候の精妙なる驕慢の中で、ややもすると自分を見失いがちな映画が、苛烈な物腰の中にジャンルムービーの明晰さを思い出す。[投票(1)]
★3きみに読む物語(2004/米)愛が遡及的に確かめられるから、語り手には、実際に愛の実効した回想の現場をお座なりにする余裕が出てくる。回想パートでは、脈略のない出会いと別れと再会に翻弄される恋敵ジェームズ・マースデンに観察対象の資格がある。[投票(1)]
★3クヒオ大佐(2009/日)堺を貶めてなお、彼に騙された松雪らの高潔さを保とうとすると、不幸の斟酌に依存する話をやるしかなくなる。堺らしく作り込まれた陽性の造形は、キャラ間のパワーバランスの繕いに浪費され、島国の陰湿な自我を持て余したように見える。[投票(1)]
★4暴走機関車(1985/米)ヴォイトの発狂の唐突さから、過去の経緯の強度を立証するのはよいが、スーパー所長ライアンが実際に愛を暴力的に確認する場に至ってヴォイトに尻込みしては、行動の正当性に対する責任が曖昧になる。不条理なオヤジどもが体を張ってエリックを教育した趣。[投票(1)]
★3さらば友よ(1968/仏)実感を伴わず愛が醸されたとすると、愛は他者に向かったのではなく、美意識を高める手段となって、ブロンソンの中に閉塞したといえる。しかしアラン・ドロンの心理に傾斜すると、彼のツンデレ映画という見立てが出てくる。「イェー」は愛の閉塞を破る号砲だ。[投票(1)]
★4クライマーズ・ハイ(2008/日)人物に移動量を迫るセットと広角で、心理劇よりも空間性を選択した映画。山崎努の好々爺ぶりも手伝い、内面より解放され揺籃のようにゆるふわとなった北関東新聞編集局がドラマ版に対して行った最大の差異化が堺雅人のアイドル映画化。うれしくもくやしい。[投票(1)]
★4カラフル(2010/日)記号の集積であるアニメがリアリズムを志向したため、段取りが増えがちになり生気が失われたのか。あるいはリアリズムの文法に不慣れなだけか。宮崎あおいや藤原啓治がよくはまって見えるのは、それだけ造形が記号的で演じやすかったのだろう。[投票(1)]
★4孤高のメス(2010/日)早々に充足される夏川結衣のモチベーションが話の発展性の余地を狭め、善人の馴れ合いよりも、生瀬勝久の劇画のように黄昏れる人間性に興味を誘われる。だがその裏では、堤真一のアイドル映画化が着々と進行するのであった。 [review][投票(1)]
★3SP 野望篇(2010/日)顔面を伸縮させて無理やり貫禄を醸し出そうとする香川照之が泥臭い。方法論としては柳葉敏郎と同じだが、香川のそれには愛嬌が微塵もなく、ドブ板議員の悲哀があふれる。が、やはり鬱陶しいことには変わりなく、真木よう子観察の妨害にしかならず。[投票(1)]
★3シングルマン(2009/米)分節化の激しさには功罪がある。電話の会話のように、カットの割りすぎが男女の心理説明を引き裂きもすれば、心理の錯視が好意の信憑性をめぐる取引を醸し、その性急さがメロドラマの効果に及ぶこともあろう。色々と鼻腔の膨らむ話である。 [review][投票(1)]
★4カンバセーション…盗聴…(1974/米)中年童貞という普遍のテーマへ帰着する技術職の侘びしさに悲鳴を上げる。廃屋の自己陶酔に至っては笑うしかない。人生のホームシックが堅実なスリラーと和解することはないが、この更年期障害を越えたところに『エネミー・オブ・アメリカ』が燦然と輝く。 [review][投票(1)]
★4その土曜日、7時58分(2007/米=英)シーモアの欲求不満が、彼の顔芸に押しつけられる形で唐突に説明されるのは虫がよすぎると思う。シーモアの枕射的大会の後だと、アルバートの枕投げも物足りず。シーモアの劇画化によってもたらされるストレスの開放感はよかった。[投票(1)]
★3クロッシング(2009/米)作劇の希少価値は常識人ブライアン・F・オバーンの顛末にあるが、またしてもリチャード・ギアのオナニーに収斂するという忌々しい安定度。しかしながら、この王道には抗しがたく、くやしい。[投票(1)]
★3マイ・ブラザー(2009/米)堅実なホームドラマが、作劇の教科書からそのまま出てきたようなインテリメガネの親玉らを好ましく浮かせる一方で、マグワイアがセラピー教科書を忠実にトレスし始めると、病の凡庸さに話が取り込まれてしまう。[投票(1)]
★4エクスペンダブルズ(2010/米)教会の会話が典型的で、記号的造形が予想通りの記号的台詞を並べ、記号的振る舞いをする。ところが最後になると、ジェイソン・ステイサムのポエムに心の底からキャッキャする自分がいる。愚直に記号を重ねることで、彼らは血肉を得るのだ。[投票(1)]
★3刑務所の中(2002/日)北米映画コードを軽やかに越える香川×トモロヲのマッサージプレイに冷や冷やしつつ、牧人のような山崎の微笑で我に返る。「修学旅行の戯れ」がもっともスリリングになるほど、刑務所の形式主義がスクリーンを越えて観客を麻痺させるのだ。[投票(1)]
★4冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(2009/香港=仏)意味を失わなければプロ根性を確証できない倒錯も作品そっちのけで表現者の限界に挑むサイモンの歓喜もしょせんは好ましい馴れ合い。この楽園から疎外された異邦人に手をさしのべるのは、ジョニー・トーの大いなる天然。[投票(1)]