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[コメント] 高地戦(2011/韓国)

キャラクターを記号ではなく、生きた人間として受容させるには、行動や感情を御する体系を匂わせるような挙動を、彼らにさせるべきだ。では、どんな物腰が、それに相当するのか。
disjunctive

 あるいは、どのような背景を彼らに想定すればよいのか。この話で戦慄を覚えるのは、キャラの実体のなさであり、その裏には、ただ不幸を自慢させればキャラは自立するという信仰があるように見える。ところが、不幸を自慢したところで、記号性が強調されるばかりで、彼らの実体が見えてこない。逆に、不幸が自慢されるほどに、ただひとり、愚痴を言わない北のオッサン(リュ・スンリョン)のキャラが立ってくる。なぜか。彼は愚痴を言う必要がないのだ。背景に貧困という苛烈な体系があるから。ここで、問題は個人の手に負えなくなる。体系の設定は社会経済に還元される。目指すべきは、潤沢な物量に支えられてもなお、残存する不幸であるべきだ。

(評価:★3)

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