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[コメント] 真昼の決闘(1952/米)

行政が浸透しない方が経済成長すると町長トーマス・ミッチェルが演説をする一方で、フランクの手下が強奪を働く。この世界観の混乱は、意図的であろうとなかろうと、クーパーの意気地から社会性を失わせ、それを単なる迷惑に見せてしまう。
disjunctive

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







クーパーとグレイス・ケリーが父娘にしか見えないから、クーパーが甲斐性の発露を強いられるのはわかる。ところがこの話のマチスモはグレイスのパフィシズムを嫌悪するゆえに男が甲斐性を発揮したくなる何かを彼女に付与できない。宙に浮いた男の甲斐性の課題は、町民がそれを発揮できるかという形で社会化するのだが、これをスポイルしてしまうのが教会での町長の演説なのである。発露の場を失った甲斐性は、あろうことか最終的にグレイスの身体に憑依してしまう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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