[コメント] 恋におちたシェイクスピア(1998/英=米)
興行主のトム・ウィルキンソンは、成長できるキャラ造形という点で、時間経過の指標となる。対照的に、ヴァイオラ側は、もはや変わりようがないという特性を引きずっている。
彼らの願望はすでに充たされていて、時間の経過はむしろ望ましくない。ウィルキンソンとこれが対比されると、観察対象として、後者が実に取るに足らないことが曝露しかねない。では、もはや変えられないものを、変えるのはどうすればよいか。それだったら解釈を変えるしかない。ここで、ストーリーメイカーを主役にしたことの必然性が、その職業的特性から、明らかになり、また、解釈を以て変えるしかない、という悲痛さも出てくる。
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