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[コメント] ダークナイト(2008/米)

昔からある話ではある。善と悪の対決であり、『ドン・キホーテ』である。しかしそれをかくも現代的に説得力をもって語るのは簡単ではない。全編に漲る破格の馬力と量感には脱帽だ。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







パワー・力・権力―それこそがこの映画を通底する要素である。聳え立つ高層ビル群・機能に徹したオフィス・ダークスーツの男達・彼らの頑強そうな顎・特殊ラバーの筋肉・爆走する巨大なタイヤ…。パワーというものの、内側から盛り上がってくる質量、その絶大な圧倒的な推進力はありありと描かれている。普通の映画ならクライマックスになるような密度の高い映像が、ほんの10分ほどの場面に惜し気もなく使われる。香港に逃げた男を捕獲する作戦(全部バットマンの自前)の仰々しい規模はどうだ!こんな映画はアメリカにしか撮れないだろう。本物のパワーを持っている者だけが再現できる迫真性に満ち満ちているのだ。

しかし本当に素晴らしいのは、それがより深い洞察に導かれるところにある。

中盤、映画は急速に色合いを変えてゆく。道化が現れてすべてを引っくり返す。「無」しか信じない、というより「信じること」を信じない相手に、バットマンとその友人達のパワーは空転する。それどころか、道化者はバットマンの隠し持っていた欲望をさえ炙り出してしまう。すべてに超越した存在でありたいという危険な欲望を。

かくして映画は「パワーの無力」を語り始める。膨大な予算と人員(つまりパワー)を投入して作った映画によって「パワーの無力」を語る―この逆説にはうっとりする魅力がある。この価値顛倒をやってのけたH・レジャーのテロリスト的個性には、ただ感嘆である(とはいえ、やはりこれはC・ベールの映画だとは思うが)。走る車から頭を出して夜風に吹かれるジョーカーの不穏な存在感よ!

道徳的敗北に直面したバットマンを救うのは普通の(パワーなど持っていない)人々である。狂気に打ち勝つことのできるのは彼らの正気だけなのだ。しかし、高貴なるものの常として、人々の良心はか弱い。だからそれは力ある者によって守られねばならない。こうして映画は騎士の物語となる。騎士は高貴なるもののために献身する。それはかつては神や王だったが、今は人々の良心である。パワーを持った者には「自己放棄」という重いモラルが課せられるのだ。

この映画を観る私たちは幸福である。何故なら、この映画が守護しようとしているもの、それは私たちの内なる良きものに他ならないのだから。

(評価:★5)

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