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[コメント] 山の音(1954/日)

まったく興奮しない語り口で非情なドラマが語られる。事実のごく一部しか描かれないことが、この映画に氷のような美しさを与えている。が、水面下では激しい葛藤が渦巻いている―

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最も困惑させられるのは、修一は何故ああも妻に冷たいのか、ということだ。妻は「子供」だから、と彼は愛人に説明するのだが、彼女を「子供」のままにしているのは彼なのだから、これは理由になっていない。しかし、愛人の家で彼がしばしば酔って暴れるところをみると、実は彼自身がそれを言語化することができないのだ。何故か女を愛することができない、それが修一の秘密であり、それが彼を苦しめているらしいのだ。

はっきりとは語られないが、そこに父の信吾が影を落としているらしいことは察せられる。この父子の間に何かしっくりとこない、緊張したものが隠されているのは明らかだ。また、しっくりこないというなら、信吾と妻・保子の間にも些細という以上の齟齬があるようだ。仲のよい夫婦に見えて、二人は互いを牽制し合う無言のゲームを繰り返しているように見える。保子は自分が美しくないからだと信吾を責め、彼女の僻みは娘・房子にそっくりそのまま受け継がれている。

物語は核心を明らかにしようとはしない。しかし、いくつかの場面から仄めかされていることは、夫婦に愛情が存在していないらしいことだ(そこには何か性的な問題がかかわっているようにも思える)。そして夫婦は暗黙の共犯関係をもって、その事実に触れることを互いの禁忌としているらしいのである。これこそがこの家の秘密であり、息子・娘の結婚生活が破綻に終わらざるを得ない真の理由なのだ。修一が妻を愛せない理由を自分でも説明できないのも当然である。彼の家ではそれに触れることは禁忌なのだから。

一見恵まれたこの家の人間関係は、実はすでに崩壊していたのだ。菊子という他人が嫁としてやってきた時、一家の虚偽が続けられなくなるのは必然だったのだ。

これほど残酷な話を何の動揺も見せずに描き切る成瀬の非情に、感嘆せざるを得ない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)緑雨[*] G31[*]

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